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横綱10大史9 双羽黒横綱途上で相撲界を去る

双羽黒は優勝なく、横綱に昇進した。横綱
審議委員会の稲葉修氏は「優勝のない力士が
横綱になるのはおかしい」と発言したが、
協会は押し切ってしまった。
双羽黒はなぜ横綱に押し上げられたのか。
昭和61年七月場所は、北尾(双羽黒)、大乃
国、朝潮、北天佑、若嶋津と5大関がそろっ
ていた。そこへ関脇保志(北勝海)が大関に
昇進するのは確実だった。このままでは史上
初の6大関になる。加えて横綱は千代の富士
一人であった。つまり北尾(双羽黒)はそう
した状況による思惑の下で、横綱に昇進させ
られたのである。
双羽黒
<新人類双羽黒>

双羽黒はそれほど普及していないときに、
パソコンを扱うことから「新人類」と呼ばれ
た。そんな新人類横綱双羽黒の仰天ニュース
が突如飛び込んできた。横綱7場所後の昭和
62年10月、付け人などが集団脱走したので
ある。双羽黒の扱いがよほど悪かったのか、
弱い立場の若い衆が飛び出すのは尋常なこと
ではなかった。
事件はこれだけでは済まなかった。立浪師匠
(元2代目羽黒山=安念山)との確執が報道
された。若い衆が料理をきちんとつくれない
ほどたるんでいるので、親方にきちんと指導
するように求めたら、若い衆に詫びるように
いわれた。そのため、部屋を出ていこうと
したとき止めるおかみさんを突き飛ばした。
(師匠発言)いやそんなことはしていない。
振り切ろうとしただけである。(双羽黒発言)
と言い分は食い違う。そして双羽黒はマンシ
ョンに留まってしまった。
安念山
<安念山のブロマイド>

師匠と横綱はある時期、行事などの金銭を
めぐってどうしても対立する。しかし、お互
い決定的に損をする結果になるほど亀裂を
深めない。そこそこで妥協するのである。
それなのに、立浪(元2代目羽黒山=安念山)
と双羽黒は修復できない領域までいってしま
ったのである。
マンションに居座る双羽黒に業を煮やした
立浪(元2代目羽黒山=安念山)親方は、
協会に廃業届けを出してしまった。当時理事
長で双羽黒の名づけ親でもある春日野(元
栃錦)はことの重大性から双羽黒と話をして
いる。「あんな親方についていけない」また
「自分を貫きたい」ということで、12月31日
緊急理事会で、双羽黒の前代未聞の横綱途上
で相撲界を去ることが決定した。
双羽黒001
<相撲界を去った双羽黒>

双羽黒は優勝のない横綱だったことの反動
から、この時期以降、旭富士から日馬富士
まで2場所連続優勝が横綱昇進の絶対条件に
なった。

札幌は好天気でした。
興味深いテーマをこれからもお届けます。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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