現役を引退し、部屋をもった親方が夢見る
ことは、末は大関、横綱となる力士を育てて
みたい、ということであろう。関取を誕生さ
せるのさえ簡単なことではない。それが天下
の横綱、それも大横綱とくれば、親方冥利に
せるのさえ簡単なことではない。それが天下
の横綱、それも大横綱とくれば、親方冥利に
尽きる。
<6場所時代の申し子大鵬>
最近の弟子養成ではあまり使われなくなった
が、弟子に対する英才教育を施した例があっ
た。大鵬は師匠のニ所ノ関(元大関佐賀ノ花)
の英才教育によって誕生したといわれた。
英才教育とはどんな教育か。
大鵬は納谷として入門したときからニ所ノ関
は目をつけていた。「将来名を成す逸材」と
直感したという。相撲部屋は集団生活だけに、
悪弊もある。栃錦が大塚といわれた年端も
いかない少年時代、兄弟子の命令で質屋に
行かされた。貴闘力が賭け事にのめりこむ
きっかけは、兄弟子に馬券を買ってくるよう
頼まれたことだという。
<努力の人大鵬>
兄弟子は無理へんにげんこつと書く、とまで
言われる相撲界である。そうした兄弟子の
用事をシャットアウトするためニ所ノ関は、
納谷を親方の付け人にした。それだけでは
ない。稽古は異例ともいえるマンツーマンで
指導した。納谷への激しい稽古の中から相撲
の長所を見出していった。
稽古も生活も師匠監視の元となった。納谷へ
の特別扱いである。
(この項目続く)
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