大相撲

大鵬への英才教育2

2017年8月8日

納谷の特別扱いは当然稽古にも及んだ。稽古
はスパルタである。これは初代若乃花と変わ
らない。ただし、スパルタはどの力士にも
あてはまるわけではない。ほめて長所を伸ば
すタイプもいる。納谷は素直に受け入れる
面と耐え忍ぶ心があった。四股、テッポウ
のノルマから始まり、二所ノ関伝統の荒稽
古。その稽古の激しさとぶつかり稽古は
特別で、気が遠くなるほどであった。
大鵬
<不死鳥大鵬>

ニ所ノ関(元大関佐賀ノ花)は納谷にお前は
他の力士とは違うという意識をうえつけて
いった。下の頃の納谷は二本ざしとすくい
投げを得意技にしていた。ニ所ノ関は稽古場、
本場所と納谷の相撲をチェックし、納谷中心
の生活であった。納谷が嘆いているとの声を
聞くと、ニ所ノ関は高級ステーキ店に連れて
行ったことがあった。

納谷が3年で十両に昇進したとき、二所ノ関
は珍しい響きの四股名を与えた。古典好きの
二所ノ関は翼を広げると3千里、ひと飛び
9万里飛ぶ伝説の巨大な鳥、大鵬の四股名を
考えていたのである。

大鵬が新入幕で初日から11連勝すると新しい
スターの登場に人気は爆発した。将来の横綱
予見させた。マスコミの攻勢から大鵬を守る
のが二所ノ関夫妻の務めになった。
大鵬!
<大鵬で花開いた二所ノ関部屋>

また大鵬は相撲評論家から型がない、昔の
横綱は型があった、と批評された。だが、
ニ所ノ関は「大鵬は相手の相撲にあわせて
取る相撲、自然体が大鵬の型です」と反論
した。理論武装を二所ノ関がやり、大鵬を
ガードした。

新しい力、佐田の山、豊山が躍進すると「こ
こで負けたら時代が変わるぞ」と大鵬をたき
つけた。ニ所ノ関部屋は玉ノ海の代のときに
分家独立を奨励した。本家ニ所ノ関部屋が
花開いたのは、まさに大鵬の存在の大きさで
あった。

暑いと効率がおちます。

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よしなに
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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