大相撲

大鵬への英才教育1

2017年8月7日

現役を引退し、部屋をもった親方が夢見る
ことは、末は大関、横綱となる力士を育てて
みたい、ということであろう。関取を誕生さ
せるのさえ簡単なことではない。それが天下
の横綱、それも大横綱とくれば、親方冥利に
尽きる。
大鵬 003
<6場所時代の申し子大鵬>

最近の弟子養成ではあまり使われなくなった
が、弟子に対する英才教育を施した例があっ
た。大鵬は師匠のニ所ノ関(元大関佐賀ノ花)
の英才教育によって誕生したといわれた。
英才教育とはどんな教育か。

大鵬は納谷として入門したときからニ所ノ関
は目をつけていた。「将来名を成す逸材」と
直感したという。相撲部屋は集団生活だけに、
悪弊もある。栃錦が大塚といわれた年端も
いかない少年時代、兄弟子の命令で質屋に
行かされた。貴闘力が賭け事にのめりこむ
きっかけは、兄弟子に馬券を買ってくるよう
頼まれたことだという。
大鵬 !
<努力の人大鵬>

兄弟子は無理へんにげんこつと書く、とまで
言われる相撲界である。そうした兄弟子の
用事をシャットアウトするためニ所ノ関は、
納谷を親方の付け人にした。それだけでは
ない。稽古は異例ともいえるマンツーマンで
指導した。納谷への激しい稽古の中から相撲
の長所を見出していった。

稽古も生活も師匠監視の元となった。納谷へ
の特別扱いである。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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