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二所ノ関の系統5

初代若乃花が引退したのは1962(昭和37)年の五月場所で
あった。初代若乃花の最後の優勝が1960(昭和35)年の
九月場所だから9場所優勝がないまま土俵を去ったわけで
ある。本来ならもう少し早く引退したかったところだった。
これは部屋を興すためにために時間が必要だったためで
ある。自宅を取り壊して地鎮祭を行ったのは1961(昭和36)
年8月であった。初代若乃花の二子山部屋は二所ノ関の
分家の花籠(元大ノ海)部屋の分家として誕生した。
先日亡くなられた竜虎が「自分も連れて行ってください」
と申し出たが、初代若乃花は「それより一刻も早く強く
なって花籠親方を安心させろ」と話し、移籍は実現しな
かった。
若乃花 枚
<若乃花>
 
次の分家独立は大鵬部屋である。1971昭和46)年五月場所
だから初代若乃花から9年後のことである。二所ノ関
(元佐賀ノ花)部屋はこれまで佐賀ノ花の弟弟子の独立
だったが、初めて直弟子の大鵬が一代年寄として部屋を
創設した。同時に問題のない独立だった。このとき番付の
年寄欄には大鵬改め大鵬と記され、疑問が持たれた。
琴桜は32歳で横綱に昇進したものの、8場所務めて1974
(昭和49)年七月場所を前に引退した。引退後は白玉を
襲名し、白玉部屋を興す予定だった。ここで思いがけない
こと起こる。佐渡ヶ嶽(元琴錦)親方が死去したため、
急遽佐渡ヶ嶽部屋を継ぐことになった。これも運命としか
いいようがない。
しかし、佐渡ヶ嶽(元琴錦)以上に波乱を呼んだのが
1975(昭和50)年3月のニ所ノ関(元佐賀ノ花)の死去
だった。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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