2代目若乃花の金星配給率

昭和43年、青森県大鰐町出身の2代目若乃花こと下山は、同じく青
森出身ののちの隆の里こと高谷と共に師匠である二子山親方(元初
代若乃花)に連れられ、同じ夜行列車に乗って上京した。後にこの
二人が横綱になる運命であったが、こときはまったく先は見通せな
い状況だった。二子山親方は「逃げ出さないか、気が気でなかった」
と語っていた。

下山から朝ノ花、さらに若三杉に改名。入幕したときはまだ20歳で
あった。昭和48年十一月場所のことであった。甘いマスク、柔らか
い足腰、颯爽たる取口で素質・素材は抜群だった。横綱を期待され
る逸材であった。

その通り横綱にかけあがった。師匠の初代若乃花から「ワシの名を
継がせる」と言い渡された。しかし、荒々しい「土俵の鬼」と呼ば
れた師匠に対し、自身は柔らかい足腰を活かした相撲だったため、
周囲からは「若三杉のままでよかったのに」と改名を惜しむ声があ
った。師匠二子山(初代若乃花)の娘をもらったが、意中の女性が
いて離婚している。

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元安藝ノ海は「北の富士級の横綱になれる」と語っていたが、優勝
は4回ともう一つ開花しなかった。大関から横綱にかけあがった昭
和53年には年間78勝12敗をあげている。全休の後の場所で成績があ
がらず、29歳で引退している。

53歳の時脳溢血で倒れ、車椅子生活になった。56歳のとき貴乃花の
理事を支持したことで二所一門から阻害されるようになった。指導
がままならないことから、59歳のとき部屋を閉じ、同郷青森の元旭
富士の伊勢ヶ濱に弟子を託した。その中に照ノ富士(当時の四股名
は若三勝)がいた。

若乃花の横綱在位は28場所であった。平幕戦は167勝27敗であった。
金星配給率は13.9%である。平幕戦が7番あれば、0.97個配給する
ことになる。フル出場して金星ゼロが6場所ある。1場所に金星を
3個配給した場所が4場所ある。巨砲が4個、大錦が3個獲得して
いる。

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この記事を書いた人

少年漫画雑誌、日経関連の編集者を経て独立。現在は大相撲を専門に取材するライター。ほぼ毎場所、自ら土俵際で撮影している。にほんブログ村 相撲・大相撲カテゴリでランキング1位。

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