大相撲

尊富士の出世街道

尊富士は幼少のころから相撲を取っていた根っから
の相撲少年であった。中学のときには白鵬杯に参加
している。進学は相撲の名門鳥取城北高校であった。
さらに大学は日大へ進んだ。相撲部では輝鵬と同期
であった。

2022年大学は卒業したが、すぐにプロ入りしたわけ
ではなかった。入門は8月に決定した。同郷の青森
で合宿などで縁があった伊勢ヶ濱(元旭富士)部屋
に入門した。

<序ノ口時代>

前相撲は本名の石岡だが、序ノ口から尊富士に改名
した。序ノ口・序二段で7戦全勝優勝した。実績の
ない学生相撲は序ノ口から取ることはある。しかし、
実力差はあきらかだった。

三段目を1場所で突破し、幕下入りした。勢いは止
まらず6勝1敗3回、5勝2回1回で十両へ昇進し
た。幕下まで7場所43勝6敗で勢いは止まらなかっ
た。負け越しなしであった。

<幕下時代>

新十両は初日から9連勝した。人によっては新十両
の全勝優勝か、という見方があった。さすがにそれ
は難しかった。そもそも15戦全勝優勝は5人しかい
ない。そのうちの一人は元小結であった。

尊富士は序ノ口からわずか8場所で入幕を決めた驚
異の力士である。新十両で優勝して十両を1場所で
突破した。負け越しなしの入幕となった。184セン
チ、143キロ、24歳。突き押しを得意とする。

<新十両>

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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