大相撲

霧馬山あの日あのとき

霧馬山は霧島に改名したが、大部分は霧馬山で成長
し、活躍してきた。あらためて霧馬山のあの日あの
ときを写真でふり返ってみる。

<2015年5月 新序出世披露>
<三段目優勝>

三段目時代湘南乃海と対戦して勝利している。

【幕下時代】

<2017年岩崎(現翔猿)を送り出す>
<2018年7月 一山本を押し出す>

一山本とは幕下で2回対戦して1勝1敗である。

<幕下時代の霧馬山>
<2018年7月 十両若隆景を寄り切る>
<2018年11月 若元春を寄り切る>

若元春とは幕下で2回対戦して2勝している。

【十両時代】

<2019年7月 琴ノ若を下手投げ>

琴ノ若とは十両で2回対戦していうるが霧馬山の2
勝である。

今となっては昔のことだが、霧馬山の懐かしき時代
である。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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