大相撲

大関誕生の間隔1

2023年6月14日

きたる七月場所霧島が新大関として登場する。これ
は2022年三月場所の御嶽海以来である。つまり御嶽
海から霧島まで1年4カ月ほどの間があいたことに
なる。場所にすれば7場所あいたことになる。大関
誕生の間隔はどのようになっているのか。調査して
みることにした。

<能代潟のブロマイド>

対象は2場所連続負け越しで大関降格が始まった昭
和以降とした。昭和最初の新大関は昭和最初の場所、
つまり昭和2年春場所(1月)に新大関として登場
した能代潟である。1場所あけて常陸岩が新大関で
デビューした。翌場所には小野川が新大関として登
場している。東西合併で大阪の年寄に小野川がある
ため、大関小野川は3場所目に豊國に改名している。
昭和2年、4場所で3人の大関が誕生している。

<武蔵山のブロマイド>

次の玉錦までは昭和3年、4年、昭和5年2場所を
経て生まれている。次は6場所間をあけて武蔵山が
大関になっている。昭和7年1月に春秋園事件がお
こり、力士が大量に脱退した。その中に武蔵山もい
た。だが、武蔵山は脱退力士団を抜け出して協会に
復帰している。1場所あけて昭和唯一の名大関、昭
和最強の大関といわれる清水川が大関になっている。

<清水川のブロマイド>

昭和2年から7年までは年4場所であった。最初は
東京場所と地方場所を別別に番付編成していたが、
同じ力士の地位が著しく異なるケースがでてきた。
そのため、昭和3年夏場所から東京場所と地方場所
を合算した成績で番付を編成するように変えた。昭
和8年から年2場所制になった。

そこで誕生した大関が男女ノ川であった。清水川か
ら4場所あけての大関であった。そこから2年、場
所にすれば4場所を経て双葉山が大関に昇進した。
このとき63連勝はすでに始まっていた。また盟友鏡
岩が同日大関になっている。

昭和戦前の大関はまだ続くことになる。

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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