大相撲

北青鵬の出世街道

北青鵬は北海道札幌出身と紹介されるが、国籍はモ
ンゴルである。ただ、5歳から札幌に住んでいた。
モンゴル生まれの日本育ちである。7歳で相撲を初
めている。白鵬とは札幌巡業と韓国で会っている。
白鵬の進言で鳥取市立西中学、鳥取城北高校へ進学
している。

卒業後白鵬の内弟子として宮城野部屋に入門した。
序ノ口、序二段、三段目で7戦全勝優勝している。
21連勝した。幕下は4場所で突破した。1場所はコ
ロナ部屋ごと休場なのだから実質3場所である。最
後は幕下優勝で十両昇進を決めた。

<序ノ口時代>

負け越しなしで十両入りしたがいきなりコロナ部屋
ごと休場となった。翌場所初日相撲を取ったときの
右ひざのケガで休場を余儀なくされた。初めての負
け越しは北青鵬を襲った初めての試練だった。番付
は幕下に逆戻り。

<幕下時代>

幕下で3場所かかって十両に復帰した。いくぶん遠
回りした。再十両は4場所かかった。成績は39勝21
敗で十両優勝はなかった。これで各段優勝の記録は
なくなった。最も今後十両落ちしての優勝はあるか
もしれない。

幕内で対戦する力士の十両時代の成績は次である。
竜電 0勝1敗
平戸海1勝
東龍 0勝1敗
輝  0勝1敗
大翔鵬1勝2敗
金峰山3勝
武将山3勝
剣翔 1勝
水戸龍1勝1敗 

<再十両時代>

204センチ、177キロ。右四つ寄り。立ち腰が気にな
る。取り口に果敢な攻めがほしい。好物はビザ。21
歳と幕内最年少である。師匠の白鵬は19歳で入幕し
ている。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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