昭和46年七月場所から横綱・大関との対戦
圏外の好成績者の扱いに新たな規定が実施
された。幕内中位以下の好成績者は今後横綱・
大関と対戦させることができるようになった。
そのためすれ違いの優勝争いはかなり減少
した。
番付差の対戦は昭和46年十一月場所でおきた。
13勝2敗で優勝の横綱北の富士と次点前頭
6枚目11勝4敗の富士桜が12日目に対戦して
いる。富士桜は11日目には大関大麒麟と対戦
している。この場所は三重ノ海、輪島、黒姫
山、富士桜が甲乙つけがたく、4力士による
三賞という初のケースになった。
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昭和47年一月は大乱戦となった。横綱北の
富士は乱調の始まりだった。大関は元々あて
にならない存在だった。そんななか栃東が
11勝4敗で1位になった。しかし、横綱戦、
大関琴櫻戦はなかった。次点は5人いてその
対戦成績は以下である。ここでも栃東の対戦
数が少ないのが気になる。権威なき1位で
あることは間違いない。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/10/回避1A-e1635650287432.jpg)
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/10/栃東-1.jpg)
翌三月場所、前頭7枚目の魁傑が浮上した。
輪島と同じ花籠(元大ノ海)部屋だった。
勝ち進んだ魁傑は関脇長谷川、大関清國、
横綱北の富士に勝利し、大関琴櫻に敗れた
ものの、大奮戦。優勝戦線を突っ走った。
魁傑は本割で、外掛けで勝った長谷川と優勝
決定戦になった。相撲が膠着するなか、魁傑
が外掛けにいかんとしたところを長谷川が
出て、惜しくも優勝を逃した。優勝長谷川は
大関清國戦がなかった点が汚点となった。
清國対長谷川戦は翌場所2日目に対戦して
いる。魁傑がクローズアップされるきっかけ
となった場所であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/10/魁傑2 -e1635650253963.jpg)
納めの十一月場所、優勝は14勝1敗の大関琴櫻。
次点は新大関輪島と幕尻福の花の11勝4敗
だった。この場所福の花は10日目から関脇
長谷川、大関琴櫻、大関清國、大関輪島と
連戦した。輪島に勝って1勝3敗だった。
この場所、横綱・大関戦の割をくずすことは
なかった。この点が今と大違いである。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/10/福の花-e1635650309799.jpg)
地元の牛丼店がすいていたのが気になりました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。