幕内力士の人数 昭和戦後編

大相撲は戦後の混乱期、敗戦からわずか3カ月しかたっていないな
か開催された。よく開けたなというのが当時の印象だった。先場所
は非公開で場所が開かれたほどである。進駐軍によって日本の古い
ものはみんなダメという風潮の中で、相撲は見向きもされなくなっ
ていた時代である。同時に食料事情が悪くどの力士もやせていた。

戦後幕内力士の人数はどうなっていったか。
昭和20年秋場所 49人
昭和21年秋場所 47人
昭和22年夏場所 50人
昭和22年秋場所 50人
昭和23年夏場所 52人
昭和23年秋場所 52人
相撲人気は低迷した。
相撲協会は記者クラブとともに知恵を出し合い、この窮地をのり越
えたかった。そのなかに優勝決定戦、三賞制度、そして系統別総あ
たり制があった。優勝決定戦は昭和22年夏場所から、三賞は昭和22
年秋場所から始まった。

明治神宮外苑相撲場

東西制から系統別総あたり制は好取組を出すのが狙いだった。とこ
ろが、相撲協会一部に猛反対が出た。反対したのは立浪(元緑嶋)
取締、出羽海(両国前名国岩)相談役でもめにもめた。ところが改
革派の藤島(元常ノ花)、伊勢ヶ濱(元清瀬川)、力士会が賛成し、
やっと承諾となった。昭和22年秋場所から系統別総あたりが復活す
るとともに、東西制は歴史のなかに消えていった。

昭和24年から年3場所制となる。
昭和24年春場所 52人
昭和24年夏場所 52人
昭和24年秋場所 52人
休場中の前田山日米野球観戦で引退
昭和25年より蔵前仮設国技館使用
昭和25年春場所 52人
昭和25年夏場所 54人
横綱の成績不振により横綱審議委員会誕生
昭和25年秋場所 54人
昭和26年春場所 53人
優勝額復活!照國に贈呈
昭和26年夏場所 53人
昭和26年秋場所 52人
昭和27年春場所 52人
昭和27年夏場所 52人
昭和27年秋場所 53人
この場所より四本柱撤廃される

蔵前国技館

昭和28年から年4場所制になった。
昭和28年初場所 52人
昭和28年春場所 52人
千代ノ山横綱返上問題おこす
夏場所より正式にテレビ中継始まる
昭和26年夏場所 50人
昭和28年秋場所 51人
蔵前国技館完成する。昭和29年より正式使用。
昭和29年初場所 49人
昭和29年春場所 51人
昭和29年夏場所 51人
昭和29年秋場所 52人
昭和30年初場所 50人
昭和30年春場所 50人
昭和30年夏場所 52人
蔵前国技館で戦後初の天覧相撲
昭和30年秋場所 52人
昭和戦後の幕内力士数は52人が最多で14場所あった。
全体的には50人以上が多く占めた。
昭和31年初場所 54人
昭和31年春場所 56人
昭和31年夏場所 56人
昭和31年度経済白書にもはや戦後ではないと記された
悲運の大関若ノ花!愛児亡くし数珠姿
昭和31年秋場所 55人

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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