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すれ違いの優勝争い4

昭和33年、年6場所制がスタートした。昭和
33年から42年までの優勝力士対次点力士戦が
皆無は以下である。番付差による対戦なしが
相変わらず目立つ。昭和40年から部屋別総
あたり制が始まり、同系統というという事情
は消滅した。

昭和35年五月場所、優勝前頭上位の若三杉、
次点が横綱若乃花、平幕若秩父と花籠(元大
ノ海)勢で独占した。昭和37年五月場所は
優勝栃ノ海、次点栃光(共に春日野(元栃錦)
部屋)と次点佐田の山(出羽海(元出羽ノ花)
部屋)の出羽一門で占めた。この場所大鵬は
彼らに3敗した。

<岩風のブロマイド>

横綱と前頭7枚目は普通なら対戦圏内では
ない。ところがこれがあてはまらない場所が
あった。昭和35年七月場所である。優勝13勝
2敗の横綱若乃花、次点12勝3敗の前頭7枚
目岩風である。両力士は初日に対戦して若乃
花が勝っている。なぜこうしたことになった
のか。幕内上位に二所系の力士が若乃花以外
玉響・若ノ海など7人もそろったためであっ
た。

通常なら番付差で対戦がありえなかった優勝
と次点力士が対戦したことが2度あった。
最初は昭和40年十一月場所である。優勝15勝
の横綱大鵬と次点12勝3敗の前頭6枚目大豪
は13日目に対戦している。大豪は12日目には
横綱佐田の山とも対戦している。2度目は
昭和41年一月場所である。優勝14勝1敗の
横綱柏戸と次点13勝2敗前頭8枚目玉乃島が
1敗同士で13日目に対戦している。柏戸が勝っ
て4回目の優勝につながった。

<柏戸>

昭和41年十一月場所の次点12勝3敗の高鐵山
は、大関北の冨士と横綱佐田の山とだけ対戦
している。佐田の山に勝って1勝1敗だった。

昭和36年五月場所、優勝佐田の山と次点の
一人羽黒花が対戦して佐田の山が勝っている。
だから優勝力士と次点力士の対戦は皆無とは
いえない。しかし、羽黒花は実力者の強豪
とはいえないため、あえて表に加えた。平幕
優勝した佐田の山は横綱・大関戦はゼロだっ
た。対戦した最高位は千秋楽の小結冨士錦
だった。十両清ノ森に敗れ、幕内優勝力士は
十両優勝力士より弱いといわれた。権威なき
優勝はさらに権威を落とす結果になった。

<佐田の山>

それから3年と1場所後権威なき優勝は繰り
返された。平幕優勝の冨士錦は横綱・大関戦は
いっさいない。関脇二番以外すべて平幕に
よる勝利である。終盤は6勝5敗の廣川、
6勝6敗の明武谷、8勝5敗の関脇羽黒川
(前名羽黒花)、千秋楽9勝5敗の北の冨士
との対戦だった。翌場所冨士錦は4勝11敗と
惨敗している。

<冨士錦のブロマイド>

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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