大相撲

すれ違いの優勝争い4

2021年10月25日

昭和33年、年6場所制がスタートした。昭和
33年から42年までの優勝力士対次点力士戦が
皆無は以下である。番付差による対戦なしが
相変わらず目立つ。昭和40年から部屋別総
あたり制が始まり、同系統というという事情
は消滅した。

昭和35年五月場所、優勝前頭上位の若三杉、
次点が横綱若乃花、平幕若秩父と花籠(元大
ノ海)勢で独占した。昭和37年五月場所は
優勝栃ノ海、次点栃光(共に春日野(元栃錦)
部屋)と次点佐田の山(出羽海(元出羽ノ花)
部屋)の出羽一門で占めた。この場所大鵬は
彼らに3敗した。

<岩風のブロマイド>

横綱と前頭7枚目は普通なら対戦圏内では
ない。ところがこれがあてはまらない場所が
あった。昭和35年七月場所である。優勝13勝
2敗の横綱若乃花、次点12勝3敗の前頭7枚
目岩風である。両力士は初日に対戦して若乃
花が勝っている。なぜこうしたことになった
のか。幕内上位に二所系の力士が若乃花以外
玉響・若ノ海など7人もそろったためであっ
た。

通常なら番付差で対戦がありえなかった優勝
と次点力士が対戦したことが2度あった。
最初は昭和40年十一月場所である。優勝15勝
の横綱大鵬と次点12勝3敗の前頭6枚目大豪
は13日目に対戦している。大豪は12日目には
横綱佐田の山とも対戦している。2度目は
昭和41年一月場所である。優勝14勝1敗の
横綱柏戸と次点13勝2敗前頭8枚目玉乃島が
1敗同士で13日目に対戦している。柏戸が勝っ
て4回目の優勝につながった。

<柏戸>

昭和41年十一月場所の次点12勝3敗の高鐵山
は、大関北の冨士と横綱佐田の山とだけ対戦
している。佐田の山に勝って1勝1敗だった。

昭和36年五月場所、優勝佐田の山と次点の
一人羽黒花が対戦して佐田の山が勝っている。
だから優勝力士と次点力士の対戦は皆無とは
いえない。しかし、羽黒花は実力者の強豪
とはいえないため、あえて表に加えた。平幕
優勝した佐田の山は横綱・大関戦はゼロだっ
た。対戦した最高位は千秋楽の小結冨士錦
だった。十両清ノ森に敗れ、幕内優勝力士は
十両優勝力士より弱いといわれた。権威なき
優勝はさらに権威を落とす結果になった。

<佐田の山>

それから3年と1場所後権威なき優勝は繰り
返された。平幕優勝の冨士錦は横綱・大関戦は
いっさいない。関脇二番以外すべて平幕に
よる勝利である。終盤は6勝5敗の廣川、
6勝6敗の明武谷、8勝5敗の関脇羽黒川
(前名羽黒花)、千秋楽9勝5敗の北の冨士
との対戦だった。翌場所冨士錦は4勝11敗と
惨敗している。

<冨士錦のブロマイド>

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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