大相撲

優勝した場所の前と後の負け越し14

■武蔵丸
・優勝した翌場所負け越し47・51・52例目
・優勝した前場所負け越し37例目

武蔵丸は初優勝から2回目の優勝まで2年
以上かかった。また大関が長く、横綱や優勝
回数12回は想像できなかった。そのうち4回
の優勝が負け越しがらみで、すべて横綱時代
である。平成11年九月場所、横綱昇進後連続
優勝した。曙、貴乃花、若乃花の4横綱時代
だが、2横綱は休場していたなかでの優勝
だった。翌場所の平成12年一月場所は途中
休場している。

平成13年十一月場所、横綱は貴乃花と2人と
なっていた。貴乃花は連続全休の途中であっ
た。武蔵丸は関脇栃東との2敗直接対決を
制し、9回目の優勝を達成した。翌場所は
途中休場している。貴乃花は7場所連続全休
したが、武蔵丸は一人横綱として3回しか
優勝できなかった。そのなかに平成14年三月
場所の優勝がある。途中休場後の優勝であっ
た。

<武蔵丸>

最後の貴乃花との決戦となったのが平成14年
九月場所である。2敗の相星決戦となったが、
勝利して12回目の優勝を成し遂げた。これが
最後の優勝となった。翌場所から休場続き
となり、引退していった。朝青龍との横綱
同士の対戦はついに実現しなかった。

■貴闘力
・優勝した前場所翌場所負け越し13例目

幕尻優勝の元祖。平成12年三月場所初日から
12連勝。横綱武蔵丸・曙に敗れたが13勝2敗
で優勝した。ただし、大関出島・千代大海戦
はなかった。また、曙対武蔵丸の横綱同士の
対戦がないとうお粗末きわまりない場所と
なった。貴闘力は前場所6勝9敗で負け越し。
翌場所は2勝13敗でフル出場では若浪と並ん
でワーストタイ記録となった。

<貴闘力>

■魁皇
・優勝した翌場所負け越し49・54例目
・優勝した前場所翌場所負け越し14例目

魁皇は通算5回優勝しているが、そのうちの
4回は大関時代である。平成13年三月場所、
大関武双山との2敗の相星決戦を制した。
もう一人の2敗横綱貴乃花が武蔵丸に敗れた
ため、魁皇の優勝が決定した。翌場所は途中
休場したと思えばその翌場所優勝、その翌
場所は途中休場と優勝と途中休場カド番の
繰り返しの時期があった。通算4回目の優勝
の翌場所は7勝8敗と負け越している。

<魁皇>

■琴光喜
・優勝した前場所負け越し36例目

琴光喜は大関に昇進しているが、初優勝は
その6年前のことである。優勝から大関まで
長い道のりであった。優勝した平成13年九月
場所は横綱貴乃花全休、大関魁皇・雅山は
途中休場だった。大関千代大海も途中休場
しているが、対戦して勝っている。不調の
横綱武蔵丸から1勝。フル出場した大関武双
山には負けている。琴光喜が優勝したのを
見て、朝青龍はおれもできると思った。琴光
喜は前場所は関脇で6勝9敗で負け越して
いる。

<琴光喜>

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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