大相撲

横綱空白期と一人横綱

七月場所の焦点に照ノ富士の横綱昇進なるか
がある。36歳白鵬は多くを望める状況では
ない。白鵬が引退すれば横綱の空白期が始ま
る。ここはつなぎで照ノ富士に踏み留まって
ほしいのが実情である。照ノ富士は13勝優勝
同点-11勝-12勝優勝-12勝優勝と続いて
いる。よく3場所の成績をとりあげる傾向が
あるが、わずか半年である。勢いだけで好
成績が出ることはありがちである。5場所の
安定度となると、そうした傾向は払拭できる。
照ノ富士には13勝以上望みたい。

<照ノ富士>

横綱は奇妙な地位で降格はない。不成績なら
引退しかない。もっとも不成績の基準は示さ
れていない。また、適格者がいなければ欠い
てもかまわない。こんな競技はほかにはない。
横綱が実質地位化した常陸山以降、横綱の
空白期は2回ある。最初は昭和戦前である。
昭和6年10月場所、一人横綱になった宮城山
は2場所出場後引退した。昭和6年3月場所
から昭和7年10月場所までの7場所が横綱の
空白期となった。玉錦が横綱に昇進して解消
された。

<宮城山のブロマイド>

もう1度は平成にはいってからである。平成
4年五月場所前に4場所連続休場の北勝海が
引退した。大関は小錦と霧島がいたが、横綱
を望むのは無理があった。新しい力と期待
されたのは曙、貴花田、若花田であった。
平成4年五月場所から5場所が横綱の空白期
にあたる。この間曙が大関に昇進し、連続
優勝で横綱を決めた。

一人横綱はけっこうある。
宮城山 2場所
玉錦  6場所 優勝3回
大鵬  3場所
北の富士8場所 優勝2回
千代の富士3場所優勝2回
北勝海 1場所
曙   11場所 優勝4回
朝青龍 21場所 優勝16回
白鵬  15場所 優勝10回
    2場所

宮城山、大鵬、北勝海は晩年であった。大鵬
はライバル柏戸が引退し、一人横綱になった。
北の富士、玉の海が同日横綱に昇進して一人
横綱が解消された。横綱空白期に新横綱に
なったのが、玉錦と曙である。玉錦の場合は
横綱武蔵山の誕生で、曙の場合は同期のライ
バル貴乃花の横綱昇進で一人横綱が終わった。
北の富士はライバル玉の海の急死によって
一人横綱になった。3場所乱調の時期があり、
そのあと全休している。

<北の富士>

朝青龍、白鵬の一人横綱時代は対抗する力士
がいなかった。朝青龍は平成16年一月場所
から平成19年の五月場所まで務めた。これが
一人横綱の最長期記録になっている。一人
横綱は結びで取るわけだから、懸賞のつく数
が常に多くなる。懸賞金はすべて渡さず、
半分くらい積立金として引退時に渡される。
朝青龍は億単位の額だったという。朝青龍が
事件で引退した後は白鵬が一人横綱になった。
63連勝はこの時期によるものである。さらに、
鶴竜引退後再び一人横綱になった。

<朝青龍>

照ノ富士が横綱に昇進しても、後に続く有望
力士が見あたらない。横綱の空白期はこれ
まで以上に長くなる恐れがでてきそうだ。

ゴルゴ13ミステリーの女王を読みました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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