大相撲

優勝した場所の前と後の負け越し11

■千代の富士
・優勝した翌場所負け越し36・37・38・39例目
・優勝した前場所負け越し25・27・29・31例目
・優勝した前場所翌場所負け越し9例目

優勝31回を誇る千代の富士だが、そのうち
9回が負け越しがらみである。大関で優勝
して横綱に昇進したが、新横綱の場所を途中
休場している。昭和56年の九月場所である。
ただし、この年は関脇・大関・横綱と3つの
地位で優勝している。初優勝から引退まで
63場所あるが、51場所フル出場している。
途中休場のうち1場所は勝ち越している。
また、平成元年三月場所は負傷により、千秋
楽不戦敗で優勝している。連続休場は引退
した場所を含め、最後の3場所のみである。
お嫁さんの出身地九州では8場所連続優勝、
通算9回優勝している。

<千代の富士>

■多賀竜
・優勝した前場所翌場所負け越し8例目

蔵前国技館最後の優勝者である。ただし、
出場した横綱は隆の里・千代の富士と2人
いたが対戦していない。大関は若嶋津・北天
佑・朝潮・琴風と4人いたが、若嶋津、朝潮
とわずか2人としか対戦していない。これに
対し小錦は2横綱、2大関と対戦している。
朝潮は同部屋のため対戦はない。多賀竜13勝、
小錦12勝だったが、誰が真の強者だったか
いうまでもあるまい。多賀竜は翌場所3横綱
4大関と対戦したが1勝6敗だった。場所
全体でも6勝9敗で負け越している。優勝
前場所も6勝9敗で負け越しいた。

<多賀竜>

■大乃国
・優勝した前場所負け越し28例目

大乃国は9勝-9勝-全勝優勝-12勝-13勝
で横綱に昇進した。新横綱の場所は8勝で
終わった。翌場所は5勝5敗5休と途中休場
している。迎えた昭和63年三月場所、大乃国
は序盤3勝2敗と出遅れた。だが、このあと
連戦連勝で千秋楽を迎えて2敗だった。優勝
争いは横綱北勝海が1敗で先行していた。
千秋楽は北勝海と大乃国の直接対戦だった。
大乃国は千秋楽決戦で本割、優勝決定戦で
北勝海に連勝し、逆転優勝してしまった。
これが大乃国の最後の優勝でもあった。

<大乃国のブロマイド>

■北勝海
・優勝した前場所負け越し30例目
・優勝した翌場所負け越し41例目

北勝と書いてほくとと読ませるのは無理が
ある。北勝海はどうしても故郷の十勝の字を
入れたかったのである。稽古熱心、稽古一筋
が北勝海を横綱にした。その北勝海が昭和63
年後半ごろから腰痛に悩まされるようになっ
た。3場所連続全休後4回目の優勝を達成
している。最後の優勝となった8回目の優勝
後は6場所中5場所休場して引退している。
まだ28歳という若さであった。

<北勝海>

■小錦
・優勝した前場所負け越し32例目

入幕2場所目に多賀竜と優勝を争ったが、
その後優勝には縁がなかった。その間大関に
昇進してもそれは変わらなかった。大関15場
所目、チャンスはやってきた。平成元年十一
月場所、優勝争いは第一人者横綱千代の富士
と大関小錦の間で行われた。両者は1敗同士
で13日目に対戦した。勝ったほうが優勝する
予感があった。小錦は千代の富士に勝ち、残り
2日間も勝ち、初優勝を達成した。前場所は
5勝10敗のため、カド番優勝であった。

<小錦>

金田一少年の事件簿を読んでいます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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