三賞は終戦の翌年、昭和21年に大相撲の人気
回復策として報道陣の提案で誕生した。優勝
ができる力士は限られているだけに、三賞は
ファンに新しい関心事として歓迎された。
三賞が施行されたのは昭和22年秋場所からで
ある。今回のテーマは三賞の4連続以上の
受賞である。三賞は優勝と違い1場所で2つ
あるいは3つ受賞することがある。4連続
以上の三賞受賞力士は誰か。
■栃錦 6連続受賞
昭和26年夏場所から昭和27年秋場所までの
5場所で、栃錦は5連続技能賞と殊勲賞1を
受賞した。その結果、6連続三賞受賞の記録
をつくった。栃錦の技能賞初受賞は入幕5場
所目だった。入幕時は75キロしかなく、とに
かくよく動いた。組まれればつぶされてしま
うだけに動きまわった。
90キロになっても当時は東富士、照國、鏡里、
吉葉山と巨漢ぞろいであった。当時の栃錦は
眼光鋭く、闘志満々でしぶとく、恐るべき
相撲への執念からマムシと呼ばれた。5場所
連続技能賞を取るので、技能賞は栃錦のため
にある、とまで言われた。
■柏戸 5連続受賞
柏戸は入幕から大関になるまで12場所(2年)
かかっている。三賞を5連続獲得したのは
大関昇進前の4場所である。昭和35年一月
場所から七月場所にかけてである。
技能賞3回、殊勲賞2回である。前みつを
取って走る柏戸の相撲は剛だが、勝負には
淡泊だった。稽古しなくても強かった。それ
が、ライバル大鵬がと差がつく要因になって
しまった。
■豊山 6連続受賞
学生出身だが、超スピード出世だった。入幕
まで5場所、十両では当時2人目の15戦全勝
優勝を達成している。入幕5場所目から3場
所連続殊勲賞・敢闘賞をダブルで獲得して、
大関に昇進している。
昭和37年九月場所から昭和38年一月場所の
ことである。成績は12勝-12勝-13勝で優勝
しそうな場所があった。この点輪島は及ば
ない。大物と期待された時期があった。豊山
の名は東農大出・新潟出身の時津風部屋の
力士に引き継がれている。
■栃東(父) 5連続受賞
5場所連続休場あけの大鵬が初日対戦した
のが栃東であった。大鵬はこの一番に敗れ、
不安な初日スタートとなった。だが、大鵬の
45連勝は栃東に負けた翌日から始まったので
ある。
栃東は技能派であった。
栃東の登場で春日野部屋(元栃錦)は小兵の
技能派が育つ部屋という認識ができた。栃錦
-栃ノ海-栃東というわけである。昭和44年
九月場所から昭和45年一月場所まで3連続
技能賞と殊勲賞を2つ受賞している。
(この項目続く)