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明治・大正初期の初日千秋楽の曜日

現在の大相撲は15日制で初日日曜、千秋楽
日曜が定着している。それを可能にしている
のが雨天でも興行が可能な施設である。東京
なら国技館、地方なら体育館・スポーツセン
ターである。例外は昭和天皇が亡くなられた
ときである。喪に服し、1日スライドして
初日月曜、千秋楽月曜になった。

<両国国技館絵ハガキ>

15日制以前、初日・千秋楽の曜日はどのよう
なものであったのか。常設館が設置され、
これまでの晴天興行でなくなった明治42年
夏場所以降をみていこう。それが以下である。
なお、場所名は便宜上場所月で表示させて
いただいた。これまで千秋楽、幕内力士は
出場しなかったが、国技館の興行後千秋楽に
出場するようになった。

なお、明治9年以降日曜は一般的に休日、
土曜は半ドンである。また現在は翌日改元
だが、明治から大正、大正から昭和は即日
改元であった。

国技館開催の最初の場所は初日土曜、千秋楽
月曜であった。10日制であった。15日制だと
力士も相撲ファンも結構長く感じる。この
時代はいい時代だったのかもしれない。この
後2場所は千秋楽を日曜に設定している。
明治44年春場所は1月に開催予定だった。
それができなくなったのは、新橋倶楽部事件
がおきたからである。

<国技館開設絵ハガキ>

力士への支払いは師匠まかせであった。あと
はひいき筋という不安定なものであった。
病気にでもなったら行き場がなくなる。そこ
で関脇以下の関取が回向院に集結して特別金
の支給を横綱・大関を通して協会に要求した。
交渉は紛糾し、関取54名が新橋倶楽部に立て
こもって抵抗した。最終的には双方妥協の中
で和解した。

明治44年春場所は2月4日土曜開催となった。
2日目鳳対西ノ海戦の勝負に西方から異が
唱えられ、役員の辞表が出るまでに発展した。
そのために2日間、間があき、3日目が開始
された。そのため千秋楽は15日水曜になった。
明治は初日金曜、千秋楽日曜が4場所と最も
多いケースとなった。

<鳳のブロマイド>

大正に入っても基本それは変わらなかった。
初日金曜、千秋楽日曜が目立つ。そうでない
場合は初日土曜、千秋楽月曜が幾分ある。
大正5年5月は初日木曜、千秋楽土曜と変則
になった。この年の11月29日、思いもよらぬ
事態が発生した。国技館1階から発火し、
強風にあおられ建物は炎に包まれ、消失して
しまったのだ。

(この項目続く)

高校野球は8月中に終わるのでしょうか。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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