大相撲

年間最多勝の変遷3

相撲界は戦後の混乱期にはいっていった。
日本の古いものはすべてだめで関心はまるで
なかった。食料事情の悪さが加わった。なに
より国技館が接収された状態だった。昭和21
年は秋場所の1場所のみの開催で終わった。
前場所から1年たっていた。次の場所は昭和
22年6月に開催された。昭和21年は1場所
のみにより、昭和22年と合体することにした。
なお、取組は昭和22年秋場所から系統別総
あたり制になった。

昭和21年・22年3場所はすべて羽黒山が優勝
した。成績は32勝2敗で2位の前田山には
6勝差をつけている。ただ、その後羽黒山は
2度にわたるアキレス腱切断で休場を余儀
なくされ、年間最多勝から姿を消していった。

<羽黒山のブロマイド>

昭和24年から年3場所制になった。さらに
昭和24年夏場所から15日制になって現在に
いたっている。ここからは群雄割拠の時代に
突入していった。絶対的強者不在で、年間
最多勝力士は東富士、千代ノ山、吉葉山、
照國と変わっていった。照國は優勝のない
横綱で、17場所連続横綱優勝がなかった。
なんと7年半以上に及んだ。東富士は連続
優勝と全勝優勝がなかった。

<照國のブロマイド>

昭和27年は栃錦、千代ノ山、鏡里、吉葉山と
4人が年間最多勝と並んだ。成績は平凡で、
34勝11敗であった。1場所平均11勝余りで
あった。昭和28年から年4場所制になった。
昭和28年、29年の年間最多勝は栃錦が制し、
3年連続年間最多勝となった。他の力士より
リードした。昭和29年夏場所・秋場所は連続
優勝して横綱を決めている。

<栃錦のブロマイド>

ライバル若ノ花の年間最多勝登場は近かった。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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