相撲界は戦後の混乱期にはいっていった。
日本の古いものはすべてだめで関心はまるで
なかった。食料事情の悪さが加わった。なに
より国技館が接収された状態だった。昭和21
年は秋場所の1場所のみの開催で終わった。
前場所から1年たっていた。次の場所は昭和
22年6月に開催された。昭和21年は1場所
のみにより、昭和22年と合体することにした。
なお、取組は昭和22年秋場所から系統別総
あたり制になった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/08/年間最多勝3A-1024x430.jpg)
昭和21年・22年3場所はすべて羽黒山が優勝
した。成績は32勝2敗で2位の前田山には
6勝差をつけている。ただ、その後羽黒山は
2度にわたるアキレス腱切断で休場を余儀
なくされ、年間最多勝から姿を消していった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/08/羽黒山 (.jpg)
昭和24年から年3場所制になった。さらに
昭和24年夏場所から15日制になって現在に
いたっている。ここからは群雄割拠の時代に
突入していった。絶対的強者不在で、年間
最多勝力士は東富士、千代ノ山、吉葉山、
照國と変わっていった。照國は優勝のない
横綱で、17場所連続横綱優勝がなかった。
なんと7年半以上に及んだ。東富士は連続
優勝と全勝優勝がなかった。
昭和27年は栃錦、千代ノ山、鏡里、吉葉山と
4人が年間最多勝と並んだ。成績は平凡で、
34勝11敗であった。1場所平均11勝余りで
あった。昭和28年から年4場所制になった。
昭和28年、29年の年間最多勝は栃錦が制し、
3年連続年間最多勝となった。他の力士より
リードした。昭和29年夏場所・秋場所は連続
優勝して横綱を決めている。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/08/栃錦.-e1629095990135.jpg)
ライバル若ノ花の年間最多勝登場は近かった。
(この項目続く)
雑誌版の季刊誌ゴルゴ13をようやく購入できました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。