大相撲

明治・大正初期の初日千秋楽の曜日

2021年8月17日

現在の大相撲は15日制で初日日曜、千秋楽
日曜が定着している。それを可能にしている
のが雨天でも興行が可能な施設である。東京
なら国技館、地方なら体育館・スポーツセン
ターである。例外は昭和天皇が亡くなられた
ときである。喪に服し、1日スライドして
初日月曜、千秋楽月曜になった。

<両国国技館絵ハガキ>

15日制以前、初日・千秋楽の曜日はどのよう
なものであったのか。常設館が設置され、
これまでの晴天興行でなくなった明治42年
夏場所以降をみていこう。それが以下である。
なお、場所名は便宜上場所月で表示させて
いただいた。これまで千秋楽、幕内力士は
出場しなかったが、国技館の興行後千秋楽に
出場するようになった。

なお、明治9年以降日曜は一般的に休日、
土曜は半ドンである。また現在は翌日改元
だが、明治から大正、大正から昭和は即日
改元であった。

国技館開催の最初の場所は初日土曜、千秋楽
月曜であった。10日制であった。15日制だと
力士も相撲ファンも結構長く感じる。この
時代はいい時代だったのかもしれない。この
後2場所は千秋楽を日曜に設定している。
明治44年春場所は1月に開催予定だった。
それができなくなったのは、新橋倶楽部事件
がおきたからである。

<国技館開設絵ハガキ>

力士への支払いは師匠まかせであった。あと
はひいき筋という不安定なものであった。
病気にでもなったら行き場がなくなる。そこ
で関脇以下の関取が回向院に集結して特別金
の支給を横綱・大関を通して協会に要求した。
交渉は紛糾し、関取54名が新橋倶楽部に立て
こもって抵抗した。最終的には双方妥協の中
で和解した。

明治44年春場所は2月4日土曜開催となった。
2日目鳳対西ノ海戦の勝負に西方から異が
唱えられ、役員の辞表が出るまでに発展した。
そのために2日間、間があき、3日目が開始
された。そのため千秋楽は15日水曜になった。
明治は初日金曜、千秋楽日曜が4場所と最も
多いケースとなった。

<鳳のブロマイド>

大正に入っても基本それは変わらなかった。
初日金曜、千秋楽日曜が目立つ。そうでない
場合は初日土曜、千秋楽月曜が幾分ある。
大正5年5月は初日木曜、千秋楽土曜と変則
になった。この年の11月29日、思いもよらぬ
事態が発生した。国技館1階から発火し、
強風にあおられ建物は炎に包まれ、消失して
しまったのだ。

(この項目続く)

高校野球は8月中に終わるのでしょうか。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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