昭和から平成にかけて、旭富士が12勝-12勝
-14勝-13勝-13勝の成績をあげながら、横
-14勝-13勝-13勝の成績をあげながら、横
綱に昇進できなかった。その旭富士がようやく
連続優勝を達成して横綱に昇進したことで
連続優勝を達成して横綱に昇進したことで
平成2年九月場所、4横綱が実現した。千代
の富士、北勝海、大乃国、旭富士による平成
初の4横綱時代である。
は4回。大乃国に優勝はない。成績は157勝
45敗87休で勝率7割7分7厘である。1場所
11.7勝相当。皆勤はわずか1場所である。
休場率は、不戦敗2を含め、30.8%である。
全休が5回もある。これでは数字は悪くなる。
45敗87休で勝率7割7分7厘である。1場所
11.7勝相当。皆勤はわずか1場所である。
休場率は、不戦敗2を含め、30.8%である。
全休が5回もある。これでは数字は悪くなる。
千代の富士の引退によって終了したが、この
4横綱の寿命自体が長くなかった。大乃国は
千代の富士が引退した翌場所に引退した。
旭富士・北勝海は休場が目立ち始めていた。
旭富士・北勝海は休場が目立ち始めていた。
旭富士は千代の富士引退から4場所後に引退、
北勝海は千代の富士引退の1年後に引退した。
この後4場所横綱不在が続くことになった。
次の平成の4横綱時代は、曙、貴乃花、3代
目若乃花、武蔵丸によって平成11年七月場所
に実現した。こちらも5場所続いた。3代目
若乃花の横綱はないと思っていたが、2場所
連続優勝によって横綱に昇進した。ただし、
横綱になっての優勝はない。武蔵丸は大関
在位32場所の末、連続優勝して横綱になった。
在位32場所の末、連続優勝して横綱になった。
そのとき、年齢はまだ28歳だった。
貴乃花は20回目の優勝から次の優勝まで2年
以上かかっていた時期であった。成績は139勝
58敗94休。勝率7割6厘である。1場所10.6
勝相当である。皆勤は0である。休場率は不戦
敗4を加えると33.7%になる。1年間に2場所強
休んだことになる。この4横綱は悲惨な足跡を
残す結果となった。
敗4を加えると33.7%になる。1年間に2場所強
休んだことになる。この4横綱は悲惨な足跡を
残す結果となった。
3代目若乃花が引退することで4横綱は解消
となった。これ以降4横綱は出ていない。稀
勢の里が横綱に昇進して、再び4横綱時代が
出現するか。その成績はどうなるか。今後を
見守っていく。
台風接近中。
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