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半世紀を経過した部屋別総当たり制1

現在の取組編成は部屋別総当たり制であり、相撲ファン
はそれが当たり前のこととして受け入れている。部屋別
総当たり制が始まったのは、昭和40年の一月場所だから、
すでに半世紀を経過したことになる。始まったのは昭和
40年だが、戦後しばしば、部屋別総当たりは叫ばれて
きた。昭和28年、年4場所制になるのを機に、東富士・
を中心に力士会が声をあげた。しかし、このときは、
協会の反対で立ち消えとなった。
照国 
國のブロマイド>

昭和30年代にはいって、部屋独立を奨励する二所ノ関の

系統の力士がしだいに増えてきた。昭和35年五月場所の
番付を見ると、花籠部屋=横綱若乃花・若ノ海・若三杉・若
乃国・若秩父、佐渡ヶ嶽=大関琴ヶ濱、二所ノ関=大鵬・
玉響・海山・玉乃海と10人の幕内力士がいた。出羽海・春日
野は6人で栃錦はこの場所で引退していた。系統のつながり
はないが、小野川部屋が出羽海・春日野に加わっていた。
このとき小野川部屋の幕内力士は2人いた。取組編成の打
開をはからんと昭和35年七月場所中に、武蔵川(元出羽ノ
花)が部屋別総当たりを提案した。高砂(元前田山)、伊勢ヶ
濱(元照)ほか数人が賛成したが、反対が多く、時期尚早と
なった。
若乃花
<若乃花のブロマイド>
 
NHK解説者の玉の海(梅吉)は幕内力士が多い系統と
そうでない系統では取組に不公平が生じると考えていた。
また、ファンの要望、土俵の充実、相撲界の発展のため
にも早く部屋別総当たりを実現したほうがいいと、時津
風(元双葉山)理事長に進言していた。現在は伊勢ノ海
部屋と時津風部屋は一門だが、系統的つながりはなく、
柏戸(伊勢ノ海)と豊山(時津風)は対戦していた。時津
風は立浪から独立していたため、この2つの部屋の対
戦はなかった。
時津風
<時津風>
 
昭和39年8月理事会で、時津風(元双葉山)理事長から
提案というより雑談のなかで「もはや、人情路論におぼ
れているときではない。部屋別について全員よく考えて
おくように」と話した。そして時津風(元双葉山)は世論
を味方につけた。(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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