大相撲

初優勝の翌場所の成績4

2016年2月12日

昭和40年時の理事長、時津風(元横綱双葉山)の断行に
よって部屋別総当り制が実現した。現在の優勝制度に近
づいたといえる。また、昭和46年七月場所より、平幕で
も勝ちこんできた者は上位にあてる規定ができた。しか
し、これは中途半端な扱いになっている。以降平幕優勝
した力士は13人いるが、出場した横綱・大関全員と対戦
した者は7人しかいない。今後新たな優勝規定をいれる
としたら、優勝資格制度をあげる。優勝する資格は出場
した横綱・大関全員と対戦した力士に限定するというもの
である。

さて、琴奨菊の来場所を占う意味で参考になるのは、昭
和40年一月場所以降で、しかも大関初優勝のケースで
ある。表6は部屋別総当たり制での初優勝昭和編である。
表6A
ここでは最後の横綱・大関との対戦なしとなった優勝者が
若浪である。翌場所の成績が2勝13敗は最低の成績で
ある。タイ記録として貴闘力・旭天鵬がいるが、いずれも
平幕優勝者という共通点がある。また、昭和47年は4場
所連続初優勝者が出ている。これ以前にも以降にも年
4場所さえない。このときは横綱北の富士が乱丁、大関
は弱くて話にならなかった時代である。部屋別総当たり
制のもと、大関で初優勝したのは11人。内訳は10勝以上
が6人、9勝が3人、負け越しが2人である。最高成績は
12勝である。今、親方としているのは若くして亡くなった
北天佑を別にすれば、千代の富士以降である。

表7は部屋別総当たり制での初優勝平成編である。
表7A
貴乃花
<貴乃花>

若貴ブームにわいた相撲熱がいっそうヒートアップした

のが、貴花田の初優勝である。日本中が千秋楽に注目し、
興奮した。しかし、翌場所は5勝10敗と大敗した。大関の
地力をつけるのには、さらに1年以上の時間がかかった。
貴闘力は横綱・大関との対戦不十分の分類にいれてい
るが、厳密には横綱との対戦はあるが、大関との対戦が
なかったのである。鶴竜は大関で初優勝の翌場所横綱
に昇進している。こうした例は、大錦・羽黒山・鏡里・吉葉山
がいるが、レアケースである。ここで大関初優勝した力士は
鶴竜を含め、11人。連続優勝したのは朝青龍1人である。
白鵬が13勝と続く。全体で10勝以上は7人、9勝が3人、
負け越しが1人である。
140614鶴竜横綱昇進披露宴 419
<鶴竜>
 
部屋別総当たり制のもと、大関で初優勝した力士22人の
翌場所の合計成績は214勝112敗4休である。平均9.7勝
である。けしていい成績とはいえない。琴奨菊の三月場所
は10勝くらいか。事実22人の中で一番多かった成績は、
10勝と9勝で6人だった。琴奨菊がデータを吹き飛ばす活
躍をするか、研究されて逆襲を受けるか、そこが三月場所の
ポイントである。
160211福祉大相撲 838
<琴奨菊 福祉大相撲にて>

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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