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初優勝の翌場所の成績4

昭和40年時の理事長、時津風(元横綱双葉山)の断行に
よって部屋別総当り制が実現した。現在の優勝制度に近
づいたといえる。また、昭和46年七月場所より、平幕で
も勝ちこんできた者は上位にあてる規定ができた。しか
し、これは中途半端な扱いになっている。以降平幕優勝
した力士は13人いるが、出場した横綱・大関全員と対戦
した者は7人しかいない。今後新たな優勝規定をいれる
としたら、優勝資格制度をあげる。優勝する資格は出場
した横綱・大関全員と対戦した力士に限定するというもの
である。
さて、琴奨菊の来場所を占う意味で参考になるのは、昭
和40年一月場所以降で、しかも大関初優勝のケースで
ある。表6は部屋別総当たり制での初優勝昭和編である。
表6A
ここでは最後の横綱・大関との対戦なしとなった優勝者が
若浪である。翌場所の成績が2勝13敗は最低の成績で
ある。タイ記録として貴闘力・旭天鵬がいるが、いずれも
平幕優勝者という共通点がある。また、昭和47年は4場
所連続初優勝者が出ている。これ以前にも以降にも年
4場所さえない。このときは横綱北の富士が乱丁、大関
は弱くて話にならなかった時代である。部屋別総当たり
制のもと、大関で初優勝したのは11人。内訳は10勝以上
が6人、9勝が3人、負け越しが2人である。最高成績は
12勝である。今、親方としているのは若くして亡くなった
北天佑を別にすれば、千代の富士以降である。
表7は部屋別総当たり制での初優勝平成編である。
表7A
貴乃花
<貴乃花>

若貴ブームにわいた相撲熱がいっそうヒートアップした

のが、貴花田の初優勝である。日本中が千秋楽に注目し、
興奮した。しかし、翌場所は5勝10敗と大敗した。大関の
地力をつけるのには、さらに1年以上の時間がかかった。
貴闘力は横綱・大関との対戦不十分の分類にいれてい
るが、厳密には横綱との対戦はあるが、大関との対戦が
なかったのである。鶴竜は大関で初優勝の翌場所横綱
に昇進している。こうした例は、大錦・羽黒山・鏡里・吉葉山
がいるが、レアケースである。ここで大関初優勝した力士は
鶴竜を含め、11人。連続優勝したのは朝青龍1人である。
白鵬が13勝と続く。全体で10勝以上は7人、9勝が3人、
負け越しが1人である。
140614鶴竜横綱昇進披露宴 419
<鶴竜>
 
部屋別総当たり制のもと、大関で初優勝した力士22人の
翌場所の合計成績は214勝112敗4休である。平均9.7勝
である。けしていい成績とはいえない。琴奨菊の三月場所
は10勝くらいか。事実22人の中で一番多かった成績は、
10勝と9勝で6人だった。琴奨菊がデータを吹き飛ばす活
躍をするか、研究されて逆襲を受けるか、そこが三月場所の
ポイントである。
160211福祉大相撲 838
<琴奨菊 福祉大相撲にて>

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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