2016年4月– date –
-
稽古のあり方
29日は昭和の日である。大型連休の初日は、年に1回の横審の稽古総見の一般公開日でもある。筆者も朝早くから並んだ。相撲人気を反映してか、1階のマス席は満席である。ただし、4人ではいっている所は少ない(筆者は4人で利用したが)2階席もけっこう... -
審判の安全を保つ突飛な案
26日は力士会が開催された日である。しかし、今回は異例なことにニ所ノ関審判部長(元若嶋津)、友綱審判副部長(元魁輝)、藤島審判副部長(元武双山)が力士会にのり込み、立ち合いとダメ押しに関して正常化を要求した。立ち合いは項を改めて述べるとし... -
新番付に異議あり
五月場所の番付が発表された。関脇・小結は、東関脇琴勇輝・西関脇勢・東小結魁聖・西小結隠岐の海となった。しかし、横綱・大関全員と対戦することはいかに大変なことか考慮されていない。先場所横綱・大関全員と対戦して勝ち越したのは、琴勇輝と隠岐の... -
大相撲事始 月給制
これまで、横綱、優勝の始まりについては触れてきた。しかし、大相撲の始まりは、まだまだある。時津風(元双葉山)が理事長になったのは、昭和32年5月のことである。それまで理事長だった出羽海(元常ノ花)の割腹・ガス自殺未遂事件を受けてのことであ... -
あらためて問う大関とは何か
先場所は、大関稀勢の里・豪栄道が優勝争いに加わり、活躍した。そのため、大関はよくやった、という印象が強い。だが、大関は彼らだけではない。琴奨菊と照ノ富士も大関である。そしてわずか8勝の成績であった。大関が4人というと豪華番付である。しか... -
かみ合わない相撲論争
18日は靖国神社で大相撲巡業があった。ご老公的存在の年配の相撲愛好家といっしょに観戦した。靖国神社の巡業は、軽い稽古、それも上位は参加しない稽古のあと、序二段から幕内まで延々と取組が続く。巡業の取組ほど見たくないものはない。本気でやるはず... -
矛盾を抱えた東西団体競技始まる
明治42年夏場所、国技館の開設とともに変わったことがある。ひとつはこれまで千秋楽は、幕内力士は出場しなかったが、出場するようになった。もうひとつが東西対抗団体戦を始めたことだった。江戸財代から同じ方屋同士は対戦しなかったが、東西でどちらが... -
国技館誕生は団体戦の始まり
今、大相撲の興味の1つに優勝争いがある。この優勝はもちろん個人優勝である。○○場所がどんな場所だったか。そういう場合××が△△と優勝を争い、優勝した場所として記憶されることがある。また、優勝争いは、数々のドラマをみせ、ときには横綱誕生をともな... -
重い横綱の責務
三月場所、琴奨菊の横綱昇進は8勝7敗で振り出しに戻った。琴奨菊に関してはあることを想像してしまう。仮に琴奨菊が横綱に昇進したら、横綱としての責任を果たしていけただろうか。あっさり、引退に追い込まれる可能性がないとは言いがたい。それは琴奨... -
43年前の相撲教習所の卒業試験
国技館の敷地の一角に相撲教習所がある。新弟子が半年間、相撲の基本など実技と一般教養を学ぶ場である。相撲の基本には四股、テッポウ、仕切り、転がり方などがある。特に転がり方はケガをしないためであるが、へたに力を入れるとかえって危ない。体をま... -
鶴竜メモにみる予見
平成24年一月場所、鶴竜は関脇だった。平成23年九月場所後琴奨菊は大関昇進を決め、十一月場所後は稀勢の里が大関昇進を果たしていた。鶴竜は両力士に遅れをとっていた。今や立場は逆転しているが、一月場所の鶴竜の実力をどうみていたか。当時のメモを覗... -
琴勇輝をめぐる三賞のあり方
三月場所は、意外にも琴勇輝の殊勲賞一賞のみであった。これまでたびたび三賞は実質二賞と言ってきたが、ついに三賞は一賞にまでなり下がってしまった。三月場所の琴勇輝は殊勲賞と敢闘賞、殊勲賞と技能賞、敢闘賞と技能賞のいずれのダブル受賞でもおかし... -
五月場所チケット事情
昨日8日は朝7時の段階で230人ほどが、整理券を求めて並んだ。南門を曲がり、数メートルの列をなしていた。正門脇にある掲示板あたりに並んだ方は、前日から泊まったと言っていた。国技館窓口は12時発売開始である。国技館窓口でしか扱っていない自由席通... -
相撲のバイブル「これが大相撲だ」玉の海梅吉著
玉の海梅吉。NHKの解説者として、明快神風、重厚玉の海として人気を二分した方である。あるいは報知新聞(現スポーツ報知)に本場書中掲載された「切り捨てご免」の執筆者でもある。その玉の海さんからは数多くの「土俵の心」を学んだ。玉の海さんから... -
照ノ富士の今後
三月場所の大関は、久しぶりに稀勢の里・豪栄道の両力士が優勝争いをした。それに比べ、照ノ富士は、まるで存在感を示せなかった。照ノ富士は横綱戦1勝1敗、大関戦1勝2敗、関脇以下に対しては、6勝4敗だった。関脇以下にはとにかくよく負けた。<... -
琴勇輝、あの日あの時
三月場所、一躍時の人となり、飛躍的に成長し、大活躍をしたのは琴勇輝である。横綱・大関とのフル対戦は初めてである。それにも関らず、横綱・大関戦は3勝3敗、関脇以下には9戦全勝と予想をはるかに超える成績をあげた。それだけに、三賞が殊勲賞1つ... -
横綱昇進内規改造論
一月場所優勝した琴奨菊が、三月場所は綱挑戦場所になり、今度は三月場所13勝ををあげた稀勢の里が、五月場所は綱挑戦場所になるという見方をする方がいる。この点に関してはこれまで、耐えられない横綱の軽さということで述べてきた。双葉山と武蔵山、大... -
大相撲テレビ放送のあり方
大相撲の初日は原則奇数月の第2日曜である。今年の三月場所はカレンダー上、例年より遅く13日に初日を迎えた。そのため8日目以降は高校野球大会と放送が重なることが、多くなった。重なった結果、総合放送の大相撲放送は、15時台が16時台に繰り下げられ... -
写真で見る変幻自在の宇良7番勝負
序ノ口以来1年間で幕下西2枚目まで番付を上げてきた宇良。三月場所は、十両昇進をかけての7番勝負だった。その中には元関取、十両力士、序ノ口以来のライバル戦があった。宇良の7番勝負を写真でふりかえってみよう。左上=2日目阿炎 ①~⑤3日目玉飛鳥...
1