大相撲

稽古のあり方

2016年4月29日

29日は昭和の日である。大型連休の初日は、年に1回の
横審の稽古総見の一般公開日でもある。筆者も朝早くか
ら並んだ。相撲人気を反映してか、1階のマス席は満席
である。ただし、4人ではいっている所は少ない(筆者は
4人で利用したが)2階席もけっこう入ったので75%くらい
の入りの印象である。
160429幕内稽古総見 322
<琴奨菊と稀勢の里の稽古>
 
初日9日前である。ここで猛稽古ということにはならない。
稽古も申し合いである。取るより見るほうが多くなる。そ
の申し合いでは、白鵬と豪栄道は土俵にあがらなかった。
相撲ファンをわかせたのは新十両の宇良の稽古である。

稽古といえば、初代若乃花の稽古はすさまじかった。初
代若乃花の花籠部屋は、ニ所ノ関部屋から独立した小部
屋であった。巡業は大合併ではなく、単発でおこなうことが
あった。小坂秀二氏は初代若乃花の稽古をこう描いてい
る。
160429十両幕下稽古総見 395
<新十両宇良(中央)>
 
この部屋の巡業を見にくるお客さんのお目当ては、若乃
花一人である。だから、若乃花は土俵からおりるわけに
はいかない。入れ替わり立ち替わり向かってくる若い連中
を相手に、けいこをつけてやる。こういう状態は(中略)
若ノ海、若秩父、若三杉が幕内力士になっても変わらな
かった。

まず、若ノ海をかり出して二十番から三十番けいこをつ
ける。若ノ海がヘトヘトになるとこんどは若秩父。若秩父
が疲れ切ると若三杉という順番。その間に若ノ海が回復
してくるからまたひっぱり出すという具合で、若乃花の
けいこは百番を下ることはない。最近の横綱、大関が二
十番もけいこすると記事になるなどというのとはケタが
違う。(栃若時代 光人社刊より)
若乃花    ブロマイド
<初代若乃花のブロマイド>
 
稽古は日ごろの積み重ねである。何を強化するか、何を
身につけるか。対戦相手を想定しての研究など目的意識
など質の面と量の面がある。初代若乃花の稽古はいまだ
語り草になっている。

大型連休でもどこにもいかず
興味深いテーマをこれからも届けます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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