大相撲

横綱の年寄率4

北の富士は引退後九重(元千代の山)部屋から独立
し井筒部屋をおこした。昭和50年のことである。と
ころが思いがけず、師匠の九重が51歳で永眠した。
昭和52年のことであった。思いがけず、井筒部屋と
九重部屋は合併し、九重部屋としてスタートするこ
とになった。

<北の富士>

元北の富士は55歳のとき協会を辞めている。理由は
高砂一門の理事候補からはずれたことである。当時
部屋を元千代の富士に譲り陣幕であった。自分を推
さなかった裏切りに嫌気がさしたのだろうか、突然
退職した。これをみたNHKの行動は素早かった。
北の富士を専属解説者として獲得したのだ。

玉の海は現役死亡のため年寄になることはなかった。
秀ノ山の年寄株をもっていた。琴櫻は白玉部屋をお
こし、佐渡ヶ嶽(元初代琴錦)部屋から独立する予
定であった。ところが佐渡ヶ嶽が亡くなり、佐渡ヶ
嶽部屋を引き継ぐことになった。定年まで務め、娘
婿の琴ノ若に部屋を譲った。

昭和60年年末、元輪島の花籠が辞職させられた。年
寄株を借金の担保にしたことが理由であった。年寄
株は協会のなかで有効なものであり、それが外部に
対して担保としたことが問題となった。

<輪島>

輪島は弟子で現役の花乃湖に部屋を譲ろうとしたが、
二子山(元初代若乃花)に否定された。花籠部屋の
力士はれ駒(元魁傑)に移籍した。輪島はプロレス
に転向して話題になったが、2年8カ月で引退して
いる。

北の湖から隆の里までの5人は生涯または定年まで
年寄をまっとうする。今も生きている三重ノ海以外
は短命であった。
北の湖 61歳没
2若乃花 69歳没
千代の富士 61歳没
隆の里 59歳没

<北の湖理事長>

ここでは9人中6人が年寄をまっとうしている。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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