大相撲

痛恨の1敗 14勝で優勝できなかった力士達4

2014年2月22日

北の富士、玉の海横綱期から輪島台頭期をみていこう。

年       場所     痛恨力士   敗戦  優勝者      成績
1970年 十一月 横綱大鵬 黒姫山 横綱玉の海 14勝1敗
1971年 一月 横綱玉の海  大鵬   横綱大鵬 14勝1敗
1973年 七月 横綱北の富士 大受   横綱琴桜 14勝1敗

大鵬は晩年だったが安定感はあり、12勝以上は
あげることができた。玉の海は前回優勝から1年後の
1970(昭和45)年九月場所ようやく優勝した。その
翌場所千秋楽をむかえ、14戦全勝の玉の海と1敗の
大鵬が激突した。本割で大鵬が勝利するが、決定戦は
玉の海が勝って連覇を果たした。

その翌場所玉の海・大鵬の両横綱は先場所とまったく
同じケースで激突した。前日「明日は2番ともわしが
勝つ」と宣言していた大鵬はその通り本割、優勝
決定戦を制して32回目の優勝を達成した。当時は
おそるべき大鵬の執念といわれたが、後年に疑惑が
生じた一番になった。

輪島が新横綱となった1973(昭和48)年七月場所、
先輩横綱の琴桜と北の富士が激しい優勝争いをした。
全勝で先行する琴桜を北の富士が1敗で追いかけ、
14日目の直接対決で北の富士が勝利して両者1敗で
並んだ。両横綱は千秋楽ともに勝って優勝決定戦に
なった。今度は琴桜が勝利し、横綱になって最初で
最後の優勝となった。
(この項目続く)
<写真は玉の海>
3_玉の海

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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