■長谷川
長谷川が入幕したのは、部屋別総あたり制が
始まった昭和40年一月場所であった。20歳の
ときである。長谷川は本名である。「琴」の
字はつかないが、佐渡ヶ嶽(元初代琴錦)
部屋の力士である。大関候補であっただけに
実績はすごかった。小結9場所、関脇21場所
務めている。殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能
賞2回受賞している。金星は9個獲得して
いる。8勝-10勝-12勝優勝で大関に昇進
できなかった。春日野(元栃錦)は「輪島
だって11勝-10勝-9勝と30勝なんだよ」と、
とりあわなかった。また、当時は琴櫻、清國、
前の山、大麒麟の4大関がふがいない成績
だったこともあげられる。優勝の翌場所は
8勝で結局大関にはなれなかった。11年半
幕内を務め、31歳で引退した。
■藤ノ川
藤ノ川を名のった力士は複数いるが、最後
まで藤ノ川だった力士は3人いる。ここでは
昭和41年十一月場所、20歳で入幕した力士で
ある。軽量ながら土俵いっぱい暴れまわり
「今牛若丸」と呼ばれた。入幕3場所目で
大関豊山、横綱佐田ノ山に勝って殊勲賞と
技能賞を受賞している。最高の見せ場は昭和
44年七月場所、大関清國と優勝決定戦で戦っ
たことである。優勝は逃したが、敢闘賞と
技能賞を受賞した。三賞は殊勲賞1回、敢闘
賞2回、技能賞3回獲得している。小結5場
所、関脇2場所務めた。だが、昭和46年七月
場所で足を傷めてから十両落ちした。幕内に
復帰したものの2場所後に引退した。26歳の
若さであった。
■戸田
戸田を語る上で絶対に欠かせないエピソード
がある。大鵬の連勝を45でストップしたが、
世紀の誤審となったことである。大鵬が土俵
を割る前に戸田の足が出たのである。連勝が
誤審でストップするという歴史的汚点となっ
た。その当事者となったのが戸田である。
昭和42年一月場所、戸田は20歳で新入幕を
果した。世紀の大誤審は昭和44年三月場所
だから、新入幕から14場所目にあたる。22歳
のときのことである。その前場所は唯一の
三賞、敢闘賞を受賞している。翌場所は柏戸
から金星をあげている。大鵬にはその後勝て
なかった。のちに羽黒岩と改名している。
入幕39場所目に唯一の三役小結にあがって
いる。最後は十両で引退した。31歳であった。
■花田(貴ノ花)
初代若乃花の実弟。年齢差は約21歳11カ月
にもなる。北海道生まれの東京育ちで、水泳
バタフライ100メートルで中学生記録をつく
っている。その花田が兄の二子山部屋に入門
を申し出た。二子山は別の弟で失敗している
ことから、反対した。弟の決意が固く、兄弟
の縁を切っての入門となった。
新入幕は昭和43年十一月場所でまだ18歳で
あった。三役に定着しだしたのが昭和45年
九月場所からで、20歳であった。人気は上昇。
大関は22歳であった。初優勝がなかなか実現
できず、ファンをやきもきさせた。昭和50年
三月場所、優勝決定戦で北の湖を寄り切って
の初優勝は日本中を熱狂させた。横綱には
なれなかったが、大関在位50場所(当時1位)
の記録をつくった。30歳で引退した。
■朝登
柏戸最後の対戦相手である。中学3年で朝日
山(元二瀬山)部屋に入門した。現在は卒業
してからでないと入門できない。昭和44年
三月場所新入幕。20歳であった。幕内より
十両が長かった。幕内13場所、十両50場所で
あった。十両優勝を4回している。これは
益荒雄の5回に次ぐもので、播竜山・大錦・
鳳凰・小城乃花、若の里と並んで2位タイ
である。最後は幕下で引退した。29歳であっ
た。
■黒姫山
昭和44年七月場所、20歳で新入幕を果した。
ぶちかましの威力から蒸気機関車のD51の
デゴイチの異名があった。実力者で、小結
10場所、関脇8場所務めた。三賞は殊勲賞
4回、敢闘賞3回、技能賞1回受賞している。
金星6個を獲得している。横綱大鵬・北の
富士・琴櫻・輪島・北の湖に勝っている。
特に横綱北の湖に6勝している。白い稲妻
北の洋の長女と結婚した。引退は十両で、
33歳だった。
(この項目続く)
雨の日です。
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