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阿武松の系統

最近元益荒雄が退職し、元大道が阿武松部屋
を継ぐことになった。元益荒雄は任期途中で
あり、突然な出来事であった。表向きは体調
面がよくないとのことだが、実際は精神的に
落ち込んでいるという話が伝わってきている。
部屋を継ぐといっても最終的に建物はどう
するのだろうか。近年弟子と名跡は継ぐが、
土地、建物は個人のものなので、最終的に
自分で用意するケースが多いだけに気になる。
190526千秋楽表彰 178
<先代阿武松>

阿武松部屋は本家ニ所ノ関部屋の分家の分家
である。そのニ所ノ関部屋の分家はお家騒動
と人間模様のなか誕生した。いきさつはこう
だ。大鵬を育てた元佐賀ノ花のニ所ノ関が
昭和50年3月に亡くなった。ニ所ノ関の後継
をめぐり、遺族側と後継候補の元大麒麟の
押尾川との間で話合いが行われたが、いっ
こうに進まなかった。両者の間で部屋、名跡、
後援会などで8000万の開きがあるといわれた。
そこで、暫定的に部屋の長老の元十勝岩が
継ぐことになった。
そのうち、遺族側は元大麒麟の押尾川に譲る
気がなくなってしまった。そんなとき、部屋
の金剛が昭和50年七月場所、思いがけず優勝
した。そのため、突然後継候補に浮上した。
金剛と次女を結婚させ、現役を引退したとき、
部屋を継がせることになった。
押尾川
<遺族との金額の開きを報じた記事>

そんな流れに、元大麒麟の押尾川は反発した。
自分についてくれる弟子を引き連れ、上野の
寺に立てこもる行動に出た。お家騒動の勃発
である。一門の花籠(元大ノ海)が仲裁に
はいり、結局青葉城ら一部の弟子をひきつれ
て、独立することになった。これが押尾川
部屋である。
このとき、押尾川部屋にいくことができなか
った天竜は、やがてプロレスへと転向して
いくことになる。また、金剛と次女は、結婚
式はあげたが、籍はいれず次女は別の男性と
結婚したという。やむをえず、金剛は北村家
(先代二所ノ関佐賀ノ花の苗字)の養子に
したという。そして最後に金剛は、本家ニ所
ノ関部屋を消滅させる役割を果たして親方
人生に幕をおろした。お家騒動は解決後も
様々な人間模様をみせてくれる結果となっ
た。
金剛優勝
<金剛優勝の記事>

元大麒麟の押尾川が育てた弟子が益荒雄で
ある。その益荒雄が引退後、独立しておこ
した部屋が阿武松部屋である。ニ所ノ関部屋
の分家の分家である阿武松部屋は、2人目の
師匠の時代となって弟子を育成していく。

消費税のアップで買い控えになりそうです。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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