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相撲界から消えたモノ

■一代年寄
始まりは大相撲の継承発展を考える有識者会議の提
言だった。一代年寄は横綱一代限りの特例で継承で
きず、伝統の継承と矛盾する異形の形と表現した。
その根拠は公益財団法人になってから、一代年寄の
根拠は見出せなかったというのだ。といっても廃止
ではなく、制度そのものがなかったと山内委員長は
説明した。2021年4月のことであった。

<日刊スポーツの記事>

一代年寄は功労金代わりという意味合いがあって生
まれたものである。大鵬、北の湖、貴乃花が一代年
寄として務めた。千代の富士は九重部屋を継ぐため
辞退している。

相撲協会が決めたことではなく、有識者会議の提言
という形にすれば、白鵬の恨みを受けずにすむとい
う図式になる。いわばワンクッションおいた形を取
り、有識者会議を隠れ蓑にすれば問題はないことに
なる。

事情通によると一代年寄貴乃花にこりたということ
である。貴乃花を増長させたのは一代年寄に原因が
あったと思うようになった。今後第二の貴乃花を出
さないために一代年寄を封印したのである。

<白鵬>

これで白鵬の一代年寄はありえないことになった。
白鵬がないのだから、今後偉大な横綱が誕生しても
ありえないことになる。

■取締
明治16年夏場所、相撲会所はこれまで筆頭、筆脇を
取締に改めた。明治の風雲児高砂浦五が就任した。                                                      
星取表には取締編輯人として高砂と境川の名が表記
された。明治23年夏場所より取締と表記された。東
西合併後の昭和も取締は3人くらいいて、その下に
理事、その上に理事長がいた。現在のように理事10
人でトップを理事長のカタチとなったのは昭和43年
の機構改革からである。 

<高砂浦五郎の錦絵>

■木村庄之助
行司の最高位で結びの一番のみをさばく。木村庄之
助が消えてから久しい。2015年三月場所37代木村庄
之助が最後である。鶴竜が横綱になって6場所目の
ときである。それから8年、木村庄之助は誕生して
いない。現在の伊之助が木村庄之助になるかという
と、それは難しそうである。木村庄之助は忘れられ
た存在になりつつある。

<37代木村庄之助>

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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