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20歳以下の新入幕力士9

■北天佑
足腰、均整の取れた体、持っている素材は
素晴らしく、新弟子のころから将来の大関・
横綱候補であった。昭和55年十一月場所に
20歳で新入幕を果した。16場所関脇以下に
いながら、優勝1回、殊勲賞2回、敢闘賞
4回、技能賞1回受賞した。小結4場所、
関脇3場所努めている。その間負け越しは
全休を含む3場所であった。22歳で大関に
昇進した。しかし、大関昇進後、勢いは止ま
り、44場所務めて、引退した。30歳だった。

<北天佑>

■隆三杉
今のファンにとって、隆三杉は親方多難人生
を歩んでいるように映るかもしれない。出羽
一門の千賀ノ浦部屋を引き継ぐことになった
り、貴乃花の突然の離職で、部屋の力士を
引き受けることになったりしている。その
うち2人が暴行事件で、相撲界を去っている。
隆三杉は昭和56年七月場所、20歳で入幕した。
入門は元初代若乃花の二子山部屋である。
あだ名はドラえもん。最高位は小結で、2場
所努めた。三賞には縁がなかった。最後は
十両で引退した。34歳まで取った。

<隆三杉>

■騏ノ嵐
今、ニ所ノ関部屋の本家はない。元金剛を
最後に消滅してしまった。ニ所ノ関部屋の
後継者を争ったのが元大麒麟の押尾川であっ
た。だが、押尾川と未亡人の話し合いがまと
まることはなかった。結局押尾川部屋をおこ
したが、子飼いの弟子のなかから誕生した
幕内力士が騏ノ嵐であった。昭和57年三月
場所、20歳で入幕した。入幕後は、ケガの
影響で幕内より十両生活が多かった。また、
幕下まで落ちたことがあった。最高位は前頭
2枚目。最後は序二段まで番付を下げ、引退
(廃業)した。30歳であった。

■若瀬川
若瀬川は3人いる。戦前、戦後。そして昭和
58年一月場所、20歳で入幕した若瀬川である。
入幕後は十両に戻ったこともあり、関取生活は
十両29場所、幕内33場所であった。三賞の
受賞はないが、大乃国から金星を奪ったこと
がある。最高位は前頭筆頭である。最後は
十両で引退した。30歳直前で引退した 。

■大ノ国
現広報部長。実は八角(元北勝海)理事長
より年上。昭和58年三月場所、20歳で入幕を
果した。右四つ、巨体を利しての寄りを得意
とした。のちに大乃国に改名。22歳で大関に、
25歳で横綱初陣となった。師匠がクリーンの
元魁傑の影響があり、相撲はがちんこだった。
そのがちんこゆえに千代の富士の連勝を止め
たことがあった。強さともろさが背中合わせ
で、苦しい成績が続いたことがあった。最後
は休場多くなり、28歳で引退した。

<大ノ国のブロマイド>

■保志(北勝海)
千代の富士とともに九重(元北の富士)部屋
の黄金時代を築いた。昭和58年九月場所、
20歳で入幕した。兄弟子千代の富士とは約3
歳の年齢差である。相撲は突き押しを中心と
した。大関昇進とともに北勝海と改名した。
大関に昇進したのは23歳、横綱は24歳のとき
であった。三賞は殊勲賞3回、敢闘賞3回、
技能賞5回、優勝8回。いずれも自己の限界
以上の力を発揮した。引退は28歳であった。
現在の八角(元北勝海)部屋は、かつての
師匠である元北の富士の井筒~九重部屋の
建物を改装したものである。

<保志(北勝海)のブロマイド>

(この項目続く)

6月にしては暑過ぎます。
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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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