▼11月23日用
はじめに
四股名は、江戸東京相撲の幕内力士に限定
する。といっても江戸期には番付の上段が
今の幕内に相当するとはいえない時期がある。
ここでは便宜上、上段のみを対象とする。
また、番付は宝暦7年(1757年)10月より
判明しているが、それ以前伝わっている四股
名谷風(複数いる)があるが、ここでは宝暦
7年(1757年)10月以降のみを対象とした。
なお、○風の後、改名した者は除外した。
○風というと嘉風、豪風、天風と尾車部屋の
看板になっている。これは師匠が現役時代
名のっていた琴風に由来する。そうなると、
他の部屋が○風とつけにくい状況である。
しかし、○風はかつて案外存在した。ルーツ
をみていこう。
●江戸
濱風(宝暦10年(1760年)10月上段入り)
谷風(安永5年(1776年)10月達ヶ関(だて
がせき)から改名)
天津風(安永6年(1777年)4月出水川(い
ずみがわ)から改名)
沖津風(天明4年(1784年)3月登場 元駒
ヶ嶽)
秋津風(文政12年(1829年)2月鉄生山から
改名)
逐手風=おいてかぜ(天保2年(1831年)
3月黒柳から改名)
天津風(弘化3年(1846年)3月入幕)
浦風(安政5年(1858年)正月熊ヶ谷から
改名)
浦風(慶応2年(1866年)11月白真弓から
改名)
宝暦7年(1757年)10月以降、番付上段で
最初に出てくるのが、濱風である。現在年寄
名になっている。追手風、浦風も同様である。
よく知られているのは、事実上の横綱の祖
谷風である。横綱といっても地位ではなく、
土俵入りをする儀式上の資格であった。谷風
が関脇のとき横綱の免許を与えられた。出水
川(いずみがわ)から改名した天津風は、
天津風より出水川(いずみがわ)としての
ほうが認識されている。江戸期は改名による
○風が多い。
●明治
浦風(明治5年(1872年)4月浦湊から改名)
磯風(明治16年(1883年)1月入幕)
天津風(明治26年(1893年)5月入幕)
松ノ風(明治33年(1900年)1月入幕)
磯風は主に京都相撲と東京相撲を行き来した
力士。吉田司家から横綱免許を受けたが、
これは巡業用の横綱で、正式な横綱とは異
なる。
●大正
光風=てるかぜ(大正11年1月入幕)
鬼風(大正13年1月付け出し)
鬼風は大阪相撲の大関でならしたが、ある
事件の責任をとって廃業。その後東京相撲に
転身したさい鬼風として幕内に付け出された。
東京相撲では1度も勝ち越せなかった。
●昭和
神風(昭和17年1月入幕)
岩風(昭和31年5月入幕)
太刀風(昭和32年1月入幕)
天津風(昭和37年1月入幕)
琴風(昭和52年1月入幕)
神風については1度ふれたので下記を参照
いただきたい。
明解神風!
岩風は潜航艇といわれ、徹底してもぐる取り
口だった。怪力でならし、鉄筋ともいわれた。
当時人気漫画だった伊賀の影丸にも岩風と
いう名の忍者が登場し、忘れられない四股名
になった。昭和は63年あったが、○風は5人
とそれほど多くない。
●平成
豪風(平成15年3月入幕)
嘉風(平成18年1月入幕)
皇風=きみかぜ(平成24年5月入幕)
天風(平成28年9月入幕)
平成はすべて元琴風の尾車の弟子であり、
なじみの四股名ばかりである。○風で登場
した四股名は19種24人という結果になった。
ルーツは宝暦までさかのぼることが判明した。
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