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四股名のルーツ【○○富士】

大相撲独特のものに四股名がある。四股名
には様々な傾向がある。錦木は寛政、天保、
安政に見られる伝統ある四股名である。
ルーツは江戸にあった。どんな四股名にも
元祖はある。今回は○○富士の四股名の
ルーツを調べてみた。対象は幕内力士に
限定させていただいた。
現代は○○富士のオンパレードである。日馬
富士、照ノ富士、宝富士、誉富士などがいる。
それでは、○○富士の元祖は誰か。富士と
いえば、日本を代表する美しい山で、葛飾
北斎は富嶽三十六景を描いているほどである。
古くからあるかと思いがちだが、元祖は明治
43年夏場所入幕した近江富士である。近江
富士は大阪相撲出身だが、常陸山を慕って
門下に入った。常陸山が欧米漫遊のさいに
随行している。最高位は小結で、横綱梅ヶ谷を
足取りで倒したことがある。
ブロマイド東富士
<江戸っ子横綱東富士>
 
○○富士の四股名は近江富士以降約33年も出
なかった。第2号は昭和18年夏場所入幕した
東富士である。東富士は怒涛の寄りで横綱に
なったほどだから名前はご存知の方が多いだ
ろうが、○○富士の四股名第2号とは思わな
かったのでは。富士の四股名はまだまだ珍し
い時代だった。
東富士の後はなんと北の富士である。北の
富士の入幕は昭和39年一月場所である。
東富士から約28年半以上たっていた。北の
富士の名は横綱とともにメイン相撲解説者で
知られている。北の富士の相撲を見た世代も
いるはずである。ここまで○○富士は意外にも
まだまだ、ポピュラーになっていなかった。
北の富士2
<黄金の引き足もある北の富士 >
 
その後、各部屋の伝統の頭漢字に富士をつけ
て、広がりを見せてきた。それが以下である。
(   )は入幕時。
栃富士(昭和43年九月場所)
琴乃富士(昭和49年七月場所)
玉ノ富士(昭和49年九月場所)
また、一時期九重部屋から○○富士の四股名
が出た。(   )は入幕時。
千代の富士(昭和50年九月場所)
若の富士(昭和57年三月場所)
孝乃富士(昭和61年五月場所)
巴富士(平成3年一月場所)
各部屋の伝統の頭漢字に富士をつける傾向は
続いた。字は異なるが、栃乃藤を参考として
付け加えておく。(   )は入幕時。
旭富士(昭和58年三月場所)
琴富士(昭和63年九月場所)
春日富士(平成元年三月場所)
※栃乃藤(平成5年三月場所)
湊富士(平成5年七月場所)
140108奉納土俵入り 115
<安馬から日馬富士に改名>
現代は、伊勢ヶ濱全盛である。以下佐田の
富士以外は伊勢ヶ濱部屋所属である。
(   )は入幕時。日馬富士は改名時である。
日馬富士(※平成21年一月場所改名)
安壮富士(平成18年十一月場所)
宝富士(平成23年七月場所)
佐田の富士(平成23年十一月場所)
誉富士(平成25年五月場所)
照ノ富士(平成26年三月場所)
○○富士はそれほど昔から使用されていた
わけではなかった。停滞期もあった。ルーツ
は近江富士で、彼から○○富士の四股名の
第一歩が始まったのである。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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