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力道山の真実

昔のことははっきりわからないことが多いが、それは
昭和にもあてはまることがある。力道山の突然の髷切り
事件は今でも謎である。力道山はプロレスラーとして
有名だが、前身は二所ノ関部屋の関取であった。その
力道山は25歳のとき自宅で自ら髷を包丁で切って廃業
した。1950(昭和25)年9月2日未明のことであった。
関脇まで昇進し、3場所連続勝ち越し中であったので
むろん体力の限界ではない。当初肝臓ジストマなどと
いわれたがどこまで本当かわからない。力道山がなぜ
自ら髷を切ったのか。この件に関して力道山自身も
当時二所ノ関親方だった元玉ノ海(後NHK解説者)も
一言も発言していないため真相がわからずじまいなので
ある。
そしてこの事件は相撲関係者よりプロレス関係者のほうが
追求に熱心なのである。「プロレス醜聞(スキャンダル)
100連発」(日本スポーツ出版社刊)にこう書かれている。
力道山の自伝「空手チョップ世界を行く」(ベースボール・
マガジン社刊)、原康史著「激録・力道山=第1巻(東京
スポーツ新聞社刊)によると力道山が髷を切ったのは9月
11日と記してある。9月2日は毎日新聞記事によるもので
ある。
力道山
<プロレス醜聞(スキャンダル)100連発
(日本スポーツ出版社刊>
 
問題は原因だが当事者が語らないため、憶測の域は出ない
が、二所ノ関親方との金銭トラブル説である。それも
力道山が借金を申し込んだがことわられた説と部屋の
再建のため借金を工面した力道山が親方に返済を求めて
トラブルになった説がある。しかし、真相は不明である。
番付不満説もある。 
プロレスラーとして成功した力道山は長嶋茂雄とともに
昭和30年代のヒーローとなった。多くの事業を手がける
中で1963(昭和38)年、暴力団に刺され死亡した。太く
短い花の生涯であった。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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