大相撲

兵役より厳しかった相撲修行

2015年4月6日

大鵬は佐田の山・栃ノ海・栃光・豊山・北葉山の5大関を
向こうにまわして稽古をした。栃若時代の稽古は目を背け
たくなるほど厳しかったという。戦前はさらに厳しかった
と稽古を見た方は言う。大相撲は昔にさかのぼればのぼる
ほど稽古は厳しいという不思議な一面をもつ。それはさて
おき相撲の稽古が厳しい時代があったのは間違いない。

戦前は男は軍隊、女はお産というのがこの世の最大の
苦痛といわれていた。今ではありえないが、相撲取り
とて兵隊として軍に引っ張られていたのだ。吉葉山は
1935(昭和17)年幕下時代に召集令状を受け取り、復員
したのは約4年後であった。107キロあった体重が68キロ
まで減少した。
ブロマイド吉兼山
<吉葉山のブロマイド>
 
新弟子のころは兄弟子によく殴られたという出羽錦。それも
手で殴ると痛いから下駄で殴られたという。そんな出羽錦
がこんなことを語っていた。「当時相撲社会の修行が
勤まったらどこでも勤まったというくらい厳しかった
もんですから、兵隊に行きまして、こんな楽で何がつらい
んだ、という気持ちでしたね」
出羽錦■
<出羽錦のブロマイド>
 
さて現代の稽古はどのレベルだろうか。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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