大相撲

力道山の真実

2015年4月8日

昔のことははっきりわからないことが多いが、それは
昭和にもあてはまることがある。力道山の突然の髷切り
事件は今でも謎である。力道山はプロレスラーとして
有名だが、前身は二所ノ関部屋の関取であった。その
力道山は25歳のとき自宅で自ら髷を包丁で切って廃業
した。1950(昭和25)年9月2日未明のことであった。

関脇まで昇進し、3場所連続勝ち越し中であったので
むろん体力の限界ではない。当初肝臓ジストマなどと
いわれたがどこまで本当かわからない。力道山がなぜ
自ら髷を切ったのか。この件に関して力道山自身も
当時二所ノ関親方だった元玉ノ海(後NHK解説者)も
一言も発言していないため真相がわからずじまいなので
ある。

そしてこの事件は相撲関係者よりプロレス関係者のほうが
追求に熱心なのである。「プロレス醜聞(スキャンダル)
100連発」(日本スポーツ出版社刊)にこう書かれている。
力道山の自伝「空手チョップ世界を行く」(ベースボール・
マガジン社刊)、原康史著「激録・力道山=第1巻(東京
スポーツ新聞社刊)によると力道山が髷を切ったのは9月
11日と記してある。9月2日は毎日新聞記事によるもので
ある。
力道山
<プロレス醜聞(スキャンダル)100連発
(日本スポーツ出版社刊>
 
問題は原因だが当事者が語らないため、憶測の域は出ない
が、二所ノ関親方との金銭トラブル説である。それも
力道山が借金を申し込んだがことわられた説と部屋の
再建のため借金を工面した力道山が親方に返済を求めて
トラブルになった説がある。しかし、真相は不明である。
番付不満説もある。 

プロレスラーとして成功した力道山は長嶋茂雄とともに
昭和30年代のヒーローとなった。多くの事業を手がける
中で1963(昭和38)年、暴力団に刺され死亡した。太く
短い花の生涯であった。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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