常陸山-両国(前名国岩)-常ノ花と引き
継がれてきた出羽海部屋。それは昭和32年
思いも寄らないよらない事態をむかえ、これ
からの運命を大きく左右していく。それは
常ノ花の出羽海理事長がガスを充満させ、
鎧通しで腹・胸・首を切って自殺をはかった
のである。そのときは遺書があり、部屋は
将来千代の山に譲るという内容だといわれて
いる。
<常ノ花の絵葉書>
だが、このときは一命を取り留めた。出羽海
は相談役となり、3年後の昭和35年十一月
場所の翌日二日市温泉の旅館で胃潰瘍のため
急死した。急死のため遺書はなかった。部屋
は部屋付きの年寄の総意で元出羽ノ花が継い
だ。元千代の山の九重はこのあとは自分だと
いう思いがあった。この時点で出羽海部屋の
力士は、出羽錦・佐田の山・小城ノ花ら6力
士がいた。
昭和38年4月に大関佐田の山が出羽海の市川
家に婿入りした。これで元千代の山の九重の
出羽海の目はなくなった。大関在位17場所と
長かった佐田の山が、横綱に昇進したのは
昭和40年三月場所であった。この当時佐田の
山を含め、出羽海部屋の力士は幕内に6人
いる。関脇北の富士もこの時点ではいた。
元千代の山の九重が出羽海部屋から独立した
のは、昭和42年一月場所後であった。自分が
見出した北の富士らを連れての破門独立で
あった。
横綱佐田の山は連続優勝した後突如引退して
しまった。昭和43年三月場所のことである。
出羽海部屋の幕内力士は海乃山、福の花、
義ノ花の3人になっていた。
神社でも場所によっては蚊がいます。
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よしなに
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