2014年2月– date –
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大相撲
三月場所新番付の着目点
一月場所11勝4敗の小結栃煌山が関脇に昇進した。そのため前頭の枚数が17枚から16枚に減った。その結果珍妙な現象がおきた。西前頭14枚目7勝8敗の舛ノ山、同15枚目7勝8敗の貴ノ岩、同16枚目7勝8敗里山がそろって同じ位置に留まった。特に里山は7勝... -
大相撲
遠藤の上位戦を予測する
三月場所の番付が発表された。先場所11勝で敢闘賞を受賞した遠藤は前頭筆頭に躍進した。いよいよ三月場所で横綱・大関をはじめ三役と対戦する。遠藤はどこまでやるか、予測してみた。1.強敵白鵬遠藤が充実した白鵬にどこまで通じるか、見所はその1点で... -
大相撲
痛恨の1敗 14勝で優勝できなかった力士達4
北の富士、玉の海横綱期から輪島台頭期をみていこう。年 場所 痛恨力士 敗戦 優勝者 成績1970年 十一月 横綱大鵬 黒姫山 横綱玉の海 14勝1敗1971年 一月 横綱... -
大相撲
双葉山は69連勝したから偉大なのではない
ソチオリンピック見ていてある言葉を思い出した。それは「スポーツにおける英雄の条件はここで結果をだしてくれと期待したとき、それに応えられる者である」という言葉だ。巨人の長嶋はまさに英雄だった。彼の記録を上回る選手はけっこういるが、記憶の面... -
大相撲
連続写真で見る遠藤の粘力相撲
一月場所四日目遠藤は宝富士の猛攻をしのいで逆転した。この相撲で遠藤の底力と粘りを見せつけられた。その相撲を連続写真で振り返ってみよう。宝富士は立会いを制して右上手を引き遠藤の上体をおこして寄り立てた。しかし、遠藤は俵づたいに回り込んでく... -
大相撲
優勝制度の変遷
かつて大相撲専門誌には優勝力士一覧、三賞受賞力士一覧、歴代(歴次)横綱が掲載されていた。これを見て大相撲の歴史を知るきっかけになったものである。優勝制度はどのような変遷を辿ったか調べてみた。1909(明治42)年常設館(両国国技館)完成した。... -
大相撲
痛恨の1敗 14勝で優勝できなかった力士達3
大鵬時代を見ていこう。年 場所 痛恨力士 敗戦 優勝者 成績1963年 九月 横綱大鵬 柏戸 横綱柏戸 15戦全勝1964年 一月 前13清国 大豪 横綱大鵬 15戦全勝 1964年 三月 横綱柏戸 大鵬 横綱大鵬 ... -
大相撲
痛恨の1敗 14勝で優勝できなかった力士達2
優勝決定戦制度は1947(昭和22)年六月場所からスタートした。同十一月場所から系統別総当たりが復活した。栃若時代の中で14勝で優勝できなかった力士を見ていこう。 年 場所 痛恨力士 敗戦 優勝者 &nbs... -
大相撲
痛恨の1敗 14勝で優勝できなかった力士達 1
一月場所、鶴竜は14勝1敗の成績をあげながら優勝ができなかった。隠岐の海に負けた一番はまさに痛恨の1敗であった。過去に15戦全勝して優勝できなかったことはないが、14勝1敗で優勝できなかったことはままある。そもそも15日制は戦前双葉山人気によっ... -
大相撲
把瑠都あの日あの時
雪降りしきる中把瑠都の断髪式が2月8日国技館でおこなわれた。大雪が予想されていたため前日ホテルに泊まったお客さんもいたようである。チケットは一律7000円で記念品付きであった。席はすべてマス席自由席。白鵬はじめ大勢の方がはさみをいれた。その... -
大相撲
横綱の変遷
横綱は約300年間で70人しかでていないという言い方がよくされる。横綱がまれな存在であることを表現している。しかし正確にいえばこれは正しい表現とは言えない。始祖明石から綾川、丸山までは横綱免許の史実を確認できない力士であることが定説となってい... -
大相撲
もし、関取昇進に年齢制限があったなら
今年の一月場所の番付に載っている力士数は609人である。付け出し、番付外はカウントしていない。三月場所は就職場所といわれ、五月場所の番付掲載力士数は増加が見込まれる。ところで力士数609人は多いのか、少ないのか。2011年から2013年の力士数と比較... -
大相撲
まわしの結び目
一月場所4日目時天空対佐田の富士戦でまわし待ったが2度あった。まわしがほどける原因はゆるい以外いくつかある。1枚まわしで結び目近くをとった場合と結び目が短すぎる場合である。そもそもまわしは幅約45センチを四つ折にして、その幅を変えてしめて... -
大相撲
三賞は事実上一賞か二賞
一月場所の三賞は遠藤の敢闘賞だけで終わった。関脇以下で活躍したのがたった一人とは寂しい限りである。しかし、これは今に始まったことではない。2013年を見ても一人受賞が4場所、二人受賞が2場所で3人あるいはそれ以上が受賞したことは一度もない。... -
大相撲
理事選に注文
日本相撲協会の理事候補選が1月31日におこなわれた。理事候補選だが、事実上の理事選である。定員10人に11人が立候補し、九重が(元横綱千代の富士)落選した。今回は立行司、大関以上の日本人力士の投票はなく、親方全員だけによる投票だった。九重は一...
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