大相撲

痛恨の1敗 14勝で優勝できなかった力士達2

2014年2月14日

優勝決定戦制度は1947(昭和22)年六月場所から
スタートした。同十一月場所から系統別総当たりが
復活した。栃若時代の中で14勝で優勝できなかった
力士を見ていこう。

 年      場所 痛恨力士  敗戦  優勝者        成績
1959年 五月 横綱栃錦 若乃花 横綱若乃花 14勝1敗
1960年 三月 横綱栃錦 若乃花 横綱若乃花 15戦全勝

まず、最初に空前の逆転劇を紹介しよう。1959
(昭和34)年五月場所、千秋楽を前に栃錦は9度目の
優勝を全勝で狙う。一方、若乃花は13日目新横綱の
朝汐に負けただけの1敗で全勝の栃錦を追走。横綱
同士充実した取り口で勝ちこんできた両者の激突は
がぜん注目を浴びた。予想は栃錦有利であった。

しかし、熱戦となった本割は上手投げで、決定戦は
寄り切りで若乃花がともに勝利した。土俵の鬼で
なければまさに成しえぬ偉業であった。優勝パレー
ドは紋服を用意していなかった若乃花がまわし
姿でオープンカーから観衆に手を振った。

1960(昭和35)年三月場所は栃若両横綱による
大相撲史上初の千秋楽全勝決戦という最高潮の
展開となった。11度目の優勝・2度目の全勝なるか
栃錦、8度目の優勝を初の全勝で飾るか若乃花。
予想は若さ、スタミナで若乃花がわずかに有利で
あった。

千秋楽は双葉山の時津風が土俵下で異例の観戦の中、
全国の相撲ファンが注視する中、両者立ち上がった。
名勝負特集やビデオでご覧になった方もいるだろうが
左四つがっぷりの相撲となった。一度栃錦が吊って
両力士が東土俵に詰まるも中央へ戻る。栃錦内掛け
届かず。すきをうかがう中、栃錦が左差し手を抜いて
若乃花の右手首を押さえ、上手を切りにいく勝負手に
出るが、若乃花はここぞとばかりに引き付けて寄り
立て大一番を制した。

栃錦は14勝で優勝を逃すこと2度目。翌場所初日、
二日目連敗するとあっさり引退してしまい、これが
最後の栃若戦になった。
(この項目続く)
<写真は栃錦のブロマイド>

栃錦!

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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