大相撲

痛恨の1敗 14勝で優勝できなかった力士達3

2014年2月16日

大鵬時代を見ていこう。

年    場所    痛恨力士 敗戦  優勝者     成績
1963年 九月 横綱大鵬 柏戸  横綱柏戸  15戦全勝
1964年 一月 前13清国 大豪  横綱大鵬  15戦全勝  
1964年 三月 横綱柏戸 大鵬  横綱大鵬  15戦全勝

1965(昭和40)年から部屋別総当り制が実施された。
1967年 一月 横綱佐田の山 大鵬 横綱大鵬 15戦全勝

1963(昭和38)年大鵬、柏戸の両横綱が千秋楽全勝
決戦で激突した。栃若についで2度目のことである。
ただし、柏戸は全休、途中休場、全休、全休とここ
まで休場続きであった。前褌を取って走る柏戸の
相撲はそのまま勢い余って土俵下に転落することが
ケガにつながっていた。「柏戸の体は瀬戸物か」と
時津風(元横綱双葉山)が嘆いていた。

しかも大鵬はすでに11回優勝しているのに対し
柏戸は1回しか優勝してなかった。同日横綱昇進
した両力士に差がついている情勢であった。

勝負は双差しの大鵬を出足の柏戸が圧倒し、2回目の
優勝を全勝で飾った。涙の優勝の柏戸に対し5大関、
大鵬は何をしていたのかという批判も出た。

1964(昭和39)年一月場所、千秋楽を向かえ、横綱
大鵬と前頭13枚目の清国が14戦全勝。初の全勝同士の
優勝決定戦かと騒がれた。当時平幕中位、下位は
勝ち進んでも横綱、大関と対戦することはなかった。
そのため、平幕中位、下位の優勝のあり方に疑問が
常にもたれていた。

清国は千秋楽関脇大豪にあたり負けたため、全勝を
達成した大鵬が優勝した。

その翌場所、大鵬・柏戸の千秋楽全勝決戦第二
ラウンドが実現した。前場所全勝の大鵬が初の連続
全勝優勝を決め、リベンジを果たした。

1967(昭和42)年一月場所に目を向けてみよう。
佐田の山は横綱2場所目に優勝したが、その後
9場所優勝から遠ざかっていた。大鵬対佐田の山戦は
対戦成績の差の割に熱戦が多かった。14日目全勝で
対戦した両者だが、佐田の山の闘志も大鵬のすくい
投げの前に敗れた。佐田の山は大鵬の牙城をついに
崩せなかった。
(この項目続く)
<写真は大鵬>

大鵬

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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