大相撲

痛恨の1敗 14勝で優勝できなかった力士達 1

2014年2月11日

一月場所、鶴竜は14勝1敗の成績をあげながら
優勝ができなかった。隠岐の海に負けた一番は
まさに痛恨の1敗であった。過去に15戦全勝して
優勝できなかったことはないが、14勝1敗で優勝
できなかったことはままある。

そもそも15日制は戦前双葉山人気によって始まった。
11日制がら13日制、15日制と興行日数が拡大して
いった。15日制の時期は1939(昭和14)年五月場所
から1944(昭和19)年一月場所までである。戦後の
混乱期を経て1949(昭和24)年五月場所から現在
まで15日制が定着している。まず、戦前から見て
いこう。1932(昭和7)年から始まった系統別
総当たり制は1940(昭和15)年東西制に戻っていた
時代である。

年     場所  痛恨力士     敗戦  優勝者       成績
1941年 一月 大関羽黒山 前田山 横綱双葉山 14勝1敗
1943年 五月 新横綱照国 双葉山 横綱双葉山 15戦全勝   
1944年 五月 横綱羽黒山 照国  横綱双葉山 15戦全勝

羽黒山は双葉山の弟弟子で剛の相撲を取った強豪で
あった。そのため双葉山と直接対戦することはなく、
優勝決定戦制度もない時代であった。同成績の場合
番付上位者が優勝となる。そのため双葉山の影になる
ことがあり、年2場所の時代に2度14勝1敗で優勝を
逃している。羽黒山が突出してくるのは戦後である。

新横綱照国は優勝者双葉山に負けているだけにまだ
納得がいくケースではある。しかし、照国は時の
ナンバー1についになれなかった。初優勝は東富士、
千代ノ山(最初はのではなくノ)より遅い1950
(昭和25)年のことである。横綱になって実に
18場所目のことであった。
(この項目続く)
<写真は羽黒山のブロマイド>
羽黒山 (2) 東京銀座湯浅商會

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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