一月場所の三賞は遠藤の敢闘賞だけで終わった。
関脇以下で活躍したのがたった一人とは寂しい限り
である。しかし、これは今に始まったことではない。
2013年を見ても一人受賞が4場所、二人受賞が
2場所で3人あるいはそれ以上が受賞したことは
一度もない。これでは三賞でなく、二賞もしくは
一賞である。
特に最近の傾向は殊勲賞の該当者なしが目立つ。
三賞は1947(昭和22)年十一月場所からスタート
した。優勝とは無縁、あるいは三役に届かない力士
にもチャンスはある。これは力士の励みになったし、
相撲ファンに新鮮な興味を与えた。その三賞で
該当者なしが出たのは1957(昭和32)年の技能賞で
ある。その後該当者なしといえば技能賞の時代が
続いた。
殊勲賞の該当者なしが出たのは1968(昭和43)年の
十一月場所である。昭和では両賞の該当者なしの
差は20場所あった。しかし、この後殊勲章該当者
なしが猛追して?現在殊勲賞該当者なしは53場所、
技能賞該当者なしは60場所と差を縮めてきた。
それにしても11勝4敗の横綱は日馬富士に勝っても
現代は殊勲賞にならない。横綱大鵬は貴ノ花に負けて
引退した。この場所大鵬の成績は3勝3敗であるが、
貴ノ花は殊勲賞を受賞している。現在の基準なら
受賞できないのだろうか。また、高見山が平幕優勝
したときは、大物食いはなかったが、優勝争いを
盛り上げた理由で殊勲賞を受けている。