大相撲

三賞は事実上一賞か二賞

2014年2月2日

一月場所の三賞は遠藤の敢闘賞だけで終わった。
関脇以下で活躍したのがたった一人とは寂しい限り
である。しかし、これは今に始まったことではない。
2013年を見ても一人受賞が4場所、二人受賞が
2場所で3人あるいはそれ以上が受賞したことは
一度もない。これでは三賞でなく、二賞もしくは
一賞である。

特に最近の傾向は殊勲賞の該当者なしが目立つ。
三賞は1947(昭和22)年十一月場所からスタート
した。優勝とは無縁、あるいは三役に届かない力士
にもチャンスはある。これは力士の励みになったし、
相撲ファンに新鮮な興味を与えた。その三賞で
該当者なしが出たのは1957(昭和32)年の技能賞で
ある。その後該当者なしといえば技能賞の時代が
続いた。

殊勲賞の該当者なしが出たのは1968(昭和43)年の
十一月場所である。昭和では両賞の該当者なしの
差は20場所あった。しかし、この後殊勲章該当者
なしが猛追して?現在殊勲賞該当者なしは53場所、
技能賞該当者なしは60場所と差を縮めてきた。

それにしても11勝4敗の横綱は日馬富士に勝っても
現代は殊勲賞にならない。横綱大鵬は貴ノ花に負けて
引退した。この場所大鵬の成績は3勝3敗であるが、
貴ノ花は殊勲賞を受賞している。現在の基準なら
受賞できないのだろうか。また、高見山が平幕優勝
したときは、大物食いはなかったが、優勝争いを
盛り上げた理由で殊勲賞を受けている。

現在は三賞受難の時代である。これで本当にいいのだ
ろうか。
<写真は敢闘賞受賞の遠藤>
140126千秋楽表彰 517

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.