幕内力士の人数 昭和戦前戦中編 上

昭和は1926年12月25日に始まった。大相撲は東西合併のなか昭和2
年から本場所がスタートした。地方場所が年2回西日本で開催され
た。最初東京場所は東京場所だけで、地方場所は地方場所だけで番
付が編成された。ただ、東京場所と地方場所で番付が著しく違う力
士が出てきた。そのため昭和3年夏場所以降東京場所と地方場所の
成績を合算して番付を編成した。

両国国技館の絵はがき

幕内力士の人数はどうなったか。
昭和2年春場所~3場所 42人
昭和3年春場所 40人
昭和3年3月場所~2場所42人
昭和4年春場所~7場所40人
昭和5年夏場所常ノ花が引退した。
番付編成が行われず、地方場所になったため翌10月場所は39人とな
った。
昭和6年春場所 40人
昭和6年春場所宮城山が引退した
番付編成が行われず、地方場所になったため翌3月場所は39人とな
った。 
昭和6年夏場所 40人
昭和6年10月場所40人

昭和7年1月6日大相撲をゆるがす大事件が起きた。幕内西方の全
力士20人と十両の出羽系11人が、品川大井町の中華料理店春秋園に
集結した。目的は大相撲の近代化へ向け、力士生活の安定化、大相
撲の大衆化、協会の制度改善であった。中心人物天竜がまとめ、協
会に要求決議書10ヶ条を訴えたのである。春秋園事件の勃発である。

これに対し協会は1月7日回答したが、検討する、考慮するが目立
ち、具体性に欠けた。茶屋や年寄制度など絶対飲めない項目があっ
た。また協会は財政上赤字であり、利息の支払いもままならなかっ
た。あまりにも誠意なき協会の回答に憤慨した出羽系の力士たちは、
1月9日脱退状を協会に提出。協会も除名破門で応じた。あまりに
も早い結論は後戻りできない状態へと突入した。

天竜の絵はがき

昭和7年春場所 20人
東西制ではなく系統別総あたり制に変更した。
昭和7年3月場所 20人
昭和7年夏場所 23人
昭和7年10月場所 23人
地方場所はこの年限りで終焉を迎えた。

昭和8年春場所 25人
協会復帰者12人が番付にはないが、別席として相撲を取った。別席
の男女ノ川が優勝している。
昭和8年夏場所 37人
幕内人数を徐々にもどしつつあった。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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