大相撲

優勝番外余話

2016年8月27日

大相撲の最大の焦点は優勝にある。来る九月
場所で稀勢の里は優勝できるか。白鵬が通算
1000勝とともに奪回するか。興味はつきない。
そんな優勝に関する番外余話を紹介して
みる。

優勝力士への協会表彰は賜杯(盃とも書く)
と優勝旗である。賜杯のサイズや重さなどは
2015年9月5日「数字で知る大相撲」で紹介
している。以下をクリックしてご覧ください。

ここでは違った面をお伝えする。賜杯は大正
14年、当時摂政宮(後の昭和天皇)からの
下賜金をもとに銀座の象眼会社で作製された
純銀製である。摂政宮であるため、当時は
天皇賜杯ではなく、摂政杯とよばれた。摂政
杯を最初に受けたのは大正15春場所優勝の
常ノ花である。

160724千秋楽幕内表彰 615
<賜杯を受ける日馬富士>

今でこそ優勝旗は優勝力士が受賞しているが、
当初はちがった。明治42年の国技館開設以降、
東西対抗の団体戦が施行された。そのとき、
勝者側に渡されたのが優勝旗である。勝利側
の関脇以下で最多勝力士が代表して受け取っ
た。昭和7年春秋園事件によって多くの力士
が脱退したとき、やむなく系統別総当たり制
を実施した。そのとき優勝旗は優勝力士に
渡った。

160124千秋楽表彰 102
<優勝旗を受ける琴奨菊>

優勝旗は縦88センチ、横130センチ、軸の長さ
238センチ、重さ5.5キロである。三方に17セ
ンチの房糸がつけられ、上部に優勝力士の名
を書いた短冊がつけられている。お値段は950
万から1000万円かかっている。

優勝パレード。優勝力士が旗手をともない、
オープンカーからゆっくりと部屋へパレード
する。琴欧州初優勝のとき、来日していた父
が「こんなセレモニーがあるのか」と感心し
たことが伝えられたほどである。最初にオー
プンカーを使用したのは昭和27年の東富士で
ある。それ以前は優勝力士と優勝旗を先頭に
一門の関取が部屋まで行進した。

080525千秋楽表彰 597
<琴欧洲の優勝パレード>

千秋楽を迎え栃錦14勝、ライバル若乃花13勝
1敗。本割、優勝決定戦と1日2番勝利して
逆転優勝を初めて成し遂げたのは、土俵の鬼
若乃花である。このまさかの優勝に、紋付・
羽織・袴を用意していなかった若乃花は、ま
わし姿でパレードした。

「ヒョーショージョー、アンタハ…」独特の
日本語で優勝力士を表彰したのは、オールド
ファンになつかしパンアメリカン航空のデビ
ッド・ジョーンズさんである。優勝番外余話
はつきないが、機会があればまた紹介したい。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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