たが、それで横綱にあげることは果たしていいことなのか。
稀勢の里は12勝以上の成績による優勝争いは5度目であ
る。大関27場所中5場所は5.4場所に1回である。昭和・平
成唯一の名大関の清水川は、3場所に1回は優勝争いを
していた。
といわれた佐田の山が17場所である。その後北の富士が
21場所、玉の海が20場所と更新した。稀勢の里はすでに彼
らより長い。大関在位はその後琴桜・武蔵丸が32場所5年
以上と最長在位を更新している。ただ、琴桜は32歳で短命
だったのに対し、武蔵丸は28歳だった。大器晩成だとしても、
稀勢の里の時間はあるようでないのである。

による横綱昇進で、いつしかこのカタチが定着してきた。これ
は優勝なしで横綱に昇進して、昇進後も優勝ができなかった
双羽黒の反省からきている。ところが、鶴竜のとき、2場所連
続優勝がないにもかかわらず横綱に昇進してしまった。これが
稀勢の里にも影響を与えてしまった。稀勢の里の横綱昇進に
関して、ついに2場所連続優勝の声はどこからも聞こえなくなっ
てしまった。
勝をあげた貴乃花だけである。これに準じるのが、5場所中
優勝2回、63勝の千代の富士、5場所中優勝1回、63勝の
輪島、5場所中優勝2回、61勝の朝青龍である。稀勢の里は、
2回の優勝と5場所通算60勝以上はほしいところである。
横綱昇進の条件にあげていた。故小坂秀二氏は「最低でも
時の最強者」を横綱の条件に掲げた。最低でもということは
適格者がいなければ欠いてもいいという見解だった。白鵬
横綱誕生以降ある意味、横綱は不要だったともいえる。横綱
は一時的な強さでは勤まらない。常に優勝争いをして、最低
でも12勝をあげる力と時代を築くほどの力量が求められる。

千秋楽日馬富士
五月場所終了
興味深いテーマをこれからも届けます。
よしなに
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