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三賞多数獲得者たち9

◆三賞獲得11回

大受 殊4敢1技6
押し一筋の力士。立ち合いあたって一気の押しではなく、広い肩幅
から左右のおっつけでじわじわと押すタイプだった。大受ほど押し
の技能を認められた者はいない。昭和45年五月場所新入幕で技能賞
を受賞した。新入幕は前頭6枚目で幕内中位であった。

昭和46年は技能賞2回、殊勲賞を獲得した。殊勲賞は横綱大鵬に勝
って受賞した。大鵬は晩年魔の5日目といわれるほど5日目に4回
負けた。大受に負けた日はまさに5日目だった。大鵬は翌場所引退
している。

<大受のブロマイド>

昭和47年は三賞の無縁期であった。昭和48年に入ると4場所連続三
賞を獲得している。技能賞-殊勲賞-殊勲賞・技能賞-殊勲賞・敢
闘賞・技能賞。七月場所は史上初のトリプル受賞を達成した。ほか
の力士が三賞候補として弱かったこともあった。大受の最盛期であ
った。

場所後大関に昇進したが、10勝以上することなくその座を明け渡し
た。大関5場所という短命であった。関脇以下で再び三賞に輝くこ
とはなかった。

麒麟児 殊4敢4技3
花のニッパチ組(昭和28年生まれ)の一人。ほかに北の湖、2代目
若乃花、金城(後の栃光)、大錦がいた。富士櫻との激しい両者一
歩も引かぬ突き合いは語り草である。天覧相撲には麒麟児対富士櫻
がよく組まれた。

麒麟児は昭和49年九月場所に入幕した。21歳であった。入幕3場所
目に敢闘賞を受賞している。それを含めて昭和50年は敢闘賞2回、
殊勲賞・技能賞1回に輝いている。殊勲賞は北の湖・輪島の両横綱
を倒してものにした。

<麒麟児のブロマイド>

昭和51年は殊勲賞2回、技能賞1回獲得した。七月場所で初のダブ
ル受賞となった。殊勲賞2回は再び北の湖。輪島の両横綱から勝利
をあげて評価された。昭和52年は三賞とは無縁だった。昭和53年技
能賞と殊勲賞に輝いた。

三賞の常連はここまでだった。昭和54年から3年1場所三賞の空白
期だった。昭和54年に1度十両に落ちている。昭和57年三月場所に
敢闘賞を受賞した。

再び空白期に入った。5年5場所に及んだ。昭和63年三月場所、敢
闘賞を受賞した。これが最後の三賞となった。同年九月場所引退し
た。幕内在位84場所であった。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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