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三賞多数獲得者たち8

■三賞獲得10回

御嶽海 殊6敢1技3
学生横綱・アマチュア横綱を引きさげ角界入りした逸材であった。
4場所で入幕した期待の大器であった。平成28年五月場所、入幕4
場所目で敢闘賞を受賞した。

翌年は技能賞と殊勲賞を2回獲得している。最初の殊勲賞は横綱日
馬富士に勝利したものである。2回目の殊勲賞は14勝1敗で優勝し
た白鵬に唯一の黒星をつけたことが評価された。平成16年から20年
まで5年連続三賞に輝いている。

<御嶽海>

平成18年は初優勝とともに殊勲・技能をダブル受賞している。平成
31年・令和元年、殊勲賞と2回目の優勝及び殊勲賞を獲得した。御
嶽海は17場所連続小結関脇在位記録がある。平成17年三月場所から
令和元年十一月場所までである。2回の優勝はこの時期である。た
だ、優勝を大関に直結できない点が物足りなかった。

令和3年は三賞に縁がなかった。令和4年一月場所3回目の優勝し
場所後大関に昇進した。このとき技能賞を受賞している。これが現
時点では最後の三賞になっている。大関降格後三賞の受賞はない。

■三賞獲得11回

高見山 殊6敢5
高見山は本格的外国人力士の始まりである。辛抱のなか序ノ口から
3年4場所かかって入幕した。その場所で敢闘賞を受賞した。昭和
43年一月場所のことである。

高見山は息の長い力士であった。幕内生活16年1場所で三賞11回に
輝いた。詳細に触れていこう。2回目の三賞は新入幕の年の九月場
所であった。ここから三賞の空白期が3年4場所あった。

<高見山>

昭和47年混乱期のなかで高見山が初優勝を達成した。場所を盛り上
げたという解釈で殊勲賞を獲得した。今後殊勲賞の新解釈基準はこ
の時の高見山から始まった。その後昭和49年に殊勲賞、殊勲賞・敢
闘賞のダブル受賞となった。

昭和51年、昭和52年に殊勲賞に輝いた。昭和49年から52年の殊勲賞
は輪島に勝っての評価であった。このころの高見山は輪島キラーで
あった。輪島戦は19勝(1不戦勝あり)24敗であった。

このあと3年2場所の三賞空白期があった。昭和56年2回敢闘賞を
受賞した。七月場所が最後の三賞になった。昭和59年五月場所、最
後は十両で引退した。

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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