常陸山と太刀山は横綱が実質地位化した常陸山以降
では10大横綱にはいる大横綱である。常陸山は角聖
と呼ばれ、2代目梅ヶ谷とともに明治の黄金期を築
いた。相手に相撲を取らせてから勝つ横綱相撲のイ
メージは常陸山がつくった。得意は泉川からのため
出しであった。
45日のてっぽうといわれた太刀山。45日は一突き半
のしゃれである。引き分け預かりを挟んで43連勝し
ている。なお、よくいわれる56連勝は自己都合の全
休を3場所はさんでいるので無効である。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2023/02/常陸山谷右衛門A.jpg)
その常陸山と太刀山は幕内で9回対戦している。最
初の対戦は明治36年夏場所であった。常陸山は大関
最後、太刀山は入幕2場所目で前頭2枚目だった。
地位が上の常陸山が勝っている。常陸山は場所後横
綱に昇進した。翌場所明治37年春場所横綱常陸山と
前頭2枚目太刀山が対戦した。ここでも番付の違い
で常陸山が勝利した。
この後常陸山に全休と途中休場があり、3回目の対
戦は明治38年夏場所になった。太刀山は関脇になっ
ていた。この一番仕切り直し25分。立ち上がるや太
刀山の激しい張り手で常陸屋は鼻から流血。常陸山
耐えて左四つになるも鼻血がとまらず、痛み分けと
なった。
翌場所明治39年春場所、両雄は再び激突した。関脇
太刀山の上突っ張りを常陸山があてがう。太刀山の
体のおきたところをはず押しで、一気に押し出した。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2023/02/太刀山】戦前の絵葉書.jpg)
太刀山の途中休場、常陸山の全休で5度目の対戦は
明治40年夏場所になった。関脇太刀山の声で立った。
太刀山はてっぽうを連射、常陸山を土俵際に追い込
む。常陸山まわり込んで、両雄激しい攻防。最期は
太刀山が常陸山の右を取り、左へ動いてはたき込ん
だ。太刀山は常陸山戦初勝利を成し遂げた。
常陸山の全休、途中休場1場所で6度目の対戦は明
治42年夏場所となった。国技館開設の場所である。
太刀山は新大関であった。相撲は太刀山が立たない
とみせかけ、相手が力を抜いたところを立つペテン
立ちとなった。常陸山残して右差し、土俵の中央に
戻してすくい投げ。太刀山残して、またも激しい攻
防戦となる。最期は太刀山が寄り立て常陸山弓なり
でこらえるも寄り倒しで太刀山が勝った。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2023/02/絵葉書★3139 東京名所 相撲 両国国技館.jpg)
常陸山は太刀山に勝てなくなった。この後1敗2分
である。以下常陸山からみた成績である。
大関常陸山対平幕太刀山 1勝
横綱常陸山対関脇以下太刀山 2勝1敗1分
横綱常陸山対大関太刀山 2敗1分
横綱常陸山対横綱太刀山 1分
通算3勝3敗3分で両雄の対戦は終わっている。