■東京場所4人マスと2人マス
九月場所は4人用マスB、マスCが2人マス使用であっ
た。2023年1月の東京場所はどうなる。どうも4人用
マスCは2人マス使用のままである。東西4人用マス
Bが2人マス使用として残るようである。ただ、東京
のマス席はインターネットでは選択できないのが欠点
であるが、一月場所はどうなるのか。
お茶屋さんはだいぶマス席で営業するようになった。
だが、飲食に制限があり、お土産中心にならざるを
えない。お土産を毎回持ち帰ると湯飲み茶碗が増える
という。なお、地方場所は全席使用である。十一月
場所もそうである。だが、売り出しが九月の場所中
でいささか早すぎる。以前は10月上旬だった。
■大関降格規定
現在は2場所連続負け越しである。これには条件が
ついて翌場所10勝以上で大関に復帰できる。栃東は
これで2度復帰している。これは昭和44年七月場所
より施行された。当時北の富士、玉乃島、琴櫻、清国
の4大関だが、誰も負け越していなかったから好都合
だった。そもそも大関2場所連続負け越し降格は東西
合併の昭和2年から始まった。当時復帰規定はなかっ
た。
これが改定されたのは昭和33年であった。この年から
年6場所がスタートした。これにともなって3場所
連続負け越しで降格に改定された。琴ヶ濱はよく2場
所連続負け越していた。北の富士も大関時代2場所
連続負け越したことがあった。これが甘いということ
になって現在に至っている。
■事業部長はNo.2?
七月場所の表彰前部屋でコロナが発覚した八角部屋。
八角(元北勝海)理事長に代わり、優勝の表彰状を
読みあげ、賜杯を渡したのは事業部長の陸奥(元霧
島)であった。事業部長はNo.2なのだから当然であ
った?
そう思われるがちょっと事情が違う。確かにこれまで
は事業部長はNo.2であった。ただし、今回はコロナ
禍で理事の役職を変更しなかった。定年になった尾車
(元琴風)事業部長にかわり、再理事になった元霧島
が担当することになったわけである。