昭和最強の大関といわれ、昭和唯一の名大関といわれ
た力士がいる。清水川である。清水川が大関であった
時期は昭和7年夏場所から昭和12年夏場所までであ
る。清水川が大関になった2場所後に玉錦は横綱に
昇進している。晩年の昭和11年夏場所、双葉山が初
優勝している。当然69連勝の途上であった。清水川の
数奇な運命についてはこれまで触れてきた。ここでは
清水川の大関時代の対戦相手別成績にふれてみよう。
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清水川の大関時代は12場所である。当時、第一人者は
玉錦であった。その玉錦とは大関同士で2勝、大関対
横綱で2勝6敗であった。清水川の大関時代の対戦が
もっとも多かったのが玉錦との10番であった。もっと
もこの中には不戦勝がある。それも千秋楽であった。
晩年台頭してきた双葉山とはどうであったか。3勝
5敗である。双葉山の連勝が始まる前の昭和11年春
場所から4連敗している。
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![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/双葉.jpg)
清水川の晩年、横綱に昇進した武蔵山、男女ノ川戦は
どうか。武蔵山には3勝5敗である。これすべて大関
同士の対戦である。武蔵山は横綱に昇進してから休場
が多く、ついに横綱武蔵山戦は実現しなかった。男女
ノ川には5勝4敗と勝ち越している。これは横綱男女
ノ川に2勝している成績を含んでいる。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/1男女ノ川-e1664957564244.jpg)
先輩大関能代潟とは7回戦っている。能代潟が晩年で
あるということもあって5勝2敗の成績をのこして
いる。晩年に大関に昇進した鏡岩とは清水川の大関
時代4勝3敗であった。瓊ノ浦はのちに両国に改名
したが、瓊ノ浦のときに4勝、両国のときに2勝1敗
と圧倒していた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/600x415-2007012001458旭川.jpg)
ほかに高登に3勝3敗、相撲の神様幡瀬川に4勝3敗
だった。5番以上対戦して1度も負けなかった力士が
旭川と大潮である。ともに5勝であった。清水川が
大関に昇進した当時は春秋園事件の影響で大量の力士
が協会を脱退した。そのため大関時代はすべて系統別
総あたり制であった。清水川の真骨頂が発揮された
のが大関時代であった。